近衛位子
鎌倉時代後期の女性。亀山上皇の女御・妃。女御、従三位・准三宮、女院。子に啓仁親王(1276.12.23-1279.1.22、八男)、継仁親王(1279.8.7-1280.10.7、十男)
近衞 位子(このえ いし、弘長2年(1262年) - 永仁4年正月22日(1296年2月26日))は、鎌倉時代後期の女性。亀山上皇の女御。女院。院号は新陽明門院。関白・近衛基平の娘。
近衛位子 | |
---|---|
続柄 | 亀山天皇女御 |
称号 | 新陽明門院 |
身位 | 女御、従三位・准三宮、女院 |
出生 |
弘長2年(1262年) |
死去 |
永仁4年正月22日(1296年2月26日)(享年35) |
配偶者 | 亀山天皇 |
子女 | 啓仁親王、継仁親王 |
父親 | 近衛基平 |
母親 | 久我通能女 |
生涯
編集文永11年(1274年)6月28日に亀山上皇の後宮に入る[1]。その後文永12年(1275年)2月22日に女御となり従三位、准三宮となる[1]。同年3月28日に院号を定め、新陽明門院と為す。建治2年(1276年)に懐妊し、著帯や安産祈願[2]が為され、11月17日に啓仁親王を出産。さらに弘安2年(1279年)に継仁親王を産むがどちらも夭折した。