検索結果

(前の20件 | ) (20 | 50 | 100 | 250 | 500 件) を表示
  • 北条(ほうじょう、きたじょう、ほくじょう、旧字体:北條) 北条市 - 愛媛県にあった市。 北条町 (曖昧さ回避) 北条村 (曖昧さ回避) 北条 (つくば市) - 茨城県つくば市の地名。 北条 (館山市) - 千葉県館山市の地名。 北条 (常滑市) - 愛知県常滑市の地名。 北条 (大東市) - 大阪府大東市の地名。…
    2キロバイト (333 語) - 2024年5月21日 (火) 14:28
  • 後北条氏のサムネイル
    ウィキソースに北条五代記の原文があります。 後北条氏(ごほうじょうし/うじ)・後北條氏・小田原北条氏(おだわらほうじょうし/うじ)・相模北条氏は、武家・華族であった日本の氏族。 本来の氏は「北条(北條)」であるが、鎌倉幕府の執権をつとめた北条氏と区別するため、「後」を付して「後北条
    49キロバイト (5,865 語) - 2024年8月27日 (火) 10:14
  • 北条氏のサムネイル
    北条氏(ほうじょうし、旧字体:北條氏)は、伊豆国出身の豪族で、鎌倉幕府の執権職を世襲した一族である。戦国大名北条氏(後北条氏、小田原北条氏)との混同を避けるため鎌倉北条氏、もしくは代々鎌倉幕府執権職を継承したことから執権北条氏と呼ばれることもある。通字は時(とき)。ただし北条
    39キロバイト (5,433 語) - 2024年11月13日 (水) 02:47
  • 北条時政のサムネイル
    北条 時政(ほうじょう ときまさ、平 時政〈たいらの ときまさ〉)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の武将。鎌倉幕府初代執権。北条氏の一門。伊豆国の在地豪族の北条時方もしくは北条時兼の子。北条政子、北条義時の父。得宗家初代当主。 家系は桓武平氏平直方流を自称する北条氏であるが、直方流は仮冒で伊豆国の豪族出身という説もある。…
    43キロバイト (7,257 語) - 2024年11月7日 (木) 13:22
  • 北条雋八のサムネイル
    北条 雋八(北條 雋八、ほうじょう しゅんぱち、1891年(明治24年)5月18日 - 1974年(昭和49年)5月30日)は、日本の政治家。貴族院議員。参議院議員(2期)。子爵。 1891年(明治24年)5月18日に元河内狭山藩主北条氏恭の四男に生まれる。1913年(大正2年)学習院高等科を卒業。…
    6キロバイト (587 語) - 2024年3月2日 (土) 06:50
  • 北条義時のサムネイル
    北条 義時(ほうじょう よしとき、長寛元年(1163年) - 元仁元年(1224年))は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。鎌倉幕府の第2代執権。伊豆国の在地豪族・北条時政の次男。北条政子の弟。得宗家2代当主。 建保7年(1219年)に鎌倉幕府の源氏将軍が断絶した後、幕府の実質的な指導者…
    67キロバイト (11,485 語) - 2024年9月19日 (木) 06:11
  • 北条氏直のサムネイル
    北条 氏直(ほうじょう うじなお)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。相模国の戦国大名で小田原城主。後北条氏の第5代当主である。父は北条氏政、母は武田信玄の娘・黄梅院。父と共に後北条氏の最大版図を築き上げたが、外交の失敗で豊臣秀吉による小田原征伐を招き、後北条氏の関東支配は終焉を迎えた。…
    26キロバイト (4,249 語) - 2023年12月20日 (水) 13:21
  • 北条氏康のサムネイル
    北条 氏康(ほうじょう うじやす)は、戦国時代の武将。相模国の戦国大名。後北条氏第2代当主・北条氏綱の嫡男として生まれる。後北条氏第3代目当主。母は氏綱の正室の養珠院。姓名は平氏康。 関東から山内・扇谷両上杉氏を追うなど、外征に実績を残すと共に、武田氏・今川氏との間に甲相駿三国同盟を結んで関東を支配…
    60キロバイト (9,964 語) - 2024年8月28日 (水) 23:58
  • 北条泰時のサムネイル
    北条 泰時(ほうじょう やすとき)は、鎌倉時代前期の武将。鎌倉幕府第2代執権・北条義時の長男で、鎌倉幕府第3代執権(在職:貞応3年(1224年) - 仁治3年6月15日(1242年7月14日))。御成敗式目を制定した人物である。 寿永2年(1183年)、北条
    57キロバイト (9,881 語) - 2024年9月15日 (日) 07:58
  • 北条氏照のサムネイル
    北条 氏照(ほうじょう うじてる)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。 天文11年(1542年)に、北条氏康と瑞渓院の子、氏康の三男として生まれる。 弘治元年(1555年)11月に下総葛西城で行われた古河公方・足利義氏の元服式に、兄弟で唯一、父・氏康と一緒に参加している。…
    21キロバイト (3,188 語) - 2024年9月15日 (日) 04:55
  • 北条鉄道北条線のサムネイル
    北条線(ほうじょうせん)は、兵庫県小野市の粟生駅から兵庫県加西市の北条町駅までを結ぶ北条鉄道の鉄道路線である。 加西市南部の田園地帯を通り、西日本旅客鉄道(JR西日本)加古川線および神戸電鉄粟生線と同市の中心地北条町を結ぶ。 管轄(事業種別):北条鉄道(第一種鉄道事業者) 路線距離(営業キロ):13…
    25キロバイト (2,087 語) - 2024年9月27日 (金) 23:49
  • 小田原征伐のサムネイル
    小田原征伐 (北条攻めからのリダイレクト)
    北条氏(後北条氏)を降した歴史事象・戦役。北条氏と真田氏(上杉氏)の間での領土紛争を豊臣秀吉が仲裁したが、この沼田領裁定の一部について、北条氏が武力で履行を覆したこと、及びそれを正当化したことが豊臣政権の惣無事令違反と看做され、北条氏は豊臣氏の軍事力による攻撃を受けた。北条
    127キロバイト (21,514 語) - 2024年10月3日 (木) 00:41
  • 北条氏政のサムネイル
    北条 氏政(ほうじょう うじまさ)は、戦国時代の相模国の戦国大名・武将。後北条氏の第4代当主。父は北条氏康、母は今川氏親の娘・瑞渓院。今川義元の甥にあたる。子に北条氏直など。正室の黄梅院は武田信玄の娘で、武田義信や武田勝頼とは義兄弟にあたる。通称は新九郎で、官位の左京大夫または相模守も同様に称した。号は截流斎。…
    35キロバイト (5,340 語) - 2024年10月17日 (木) 14:40
  • 北条時房のサムネイル
    北条 時房(ほうじょう ときふさ)は、鎌倉時代初期の武将。北条時政の子。北条政子・北条義時の弟。鎌倉幕府初代連署。 安元元年(1175年)、北条時政の三男として生まれる。文治5年(1189年)、三浦義連を烏帽子親に元服し、時連(ときつら)と名乗る。同年、奥州合戦に従軍。建久10年(1199年)に初代…
    16キロバイト (2,521 語) - 2024年8月6日 (火) 17:49
  • 北条氏綱のサムネイル
    北条 氏綱(ほうじょう うじつな)は、戦国時代の武将、戦国大名。後北条氏第2代当主。 伊豆国・相模国を平定した伊勢宗瑞 (伊勢盛時、北条早雲) の跡を継いで領国を武蔵半国、下総の一部、そして駿河半国にまで拡大させた。また、「勝って兜の緒を締めよ」の遺言でも知られる。 当初は伊勢氏を称しており、北条
    53キロバイト (8,466 語) - 2024年10月31日 (木) 02:50
  • 北条高時のサムネイル
    北条 高時(ほうじょう たかとき)は、鎌倉時代末期の北条氏得宗家当主。鎌倉幕府第14代執権(在職:1316年 - 1326年)。第9代執権・北条貞時の三男。 嘉元元年12月2日(1304年1月9日)、北条貞時の三男として生まれる。三男であったが、長兄菊寿丸と次兄金寿丸は夭折しているので事実上の嫡男であった。…
    30キロバイト (4,149 語) - 2024年11月12日 (火) 07:41
  • 北条政子のサムネイル
    北条 政子(ほうじょう まさこ、平政子たいらの まさこ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の女性。鎌倉幕府を開いた源頼朝の御台所。周囲の反対を押し切り、伊豆の流人だった頼朝の妻となった。夫の死後に落飾して尼御台(あまみだい)と呼ばれた。法名は安養院(あんにょういん)。頼朝が亡くなった後、征夷大将軍とな…
    48キロバイト (8,389 語) - 2024年11月6日 (水) 04:20
  • 北条時敬のサムネイル
    この記事の項目名には以下のような表記揺れがあります。 北条時敬 北條時敬 北条 時敬(ほうじょう ときゆき、1858年5月6日(安政5年3月23日) - 1929年(昭和4年)4月27日)は明治時代から大正時代にかけての日本の教育者。号は廓堂。 旧制山口高等学校、旧制第四高等学校、広島高等師範学校校…
    14キロバイト (1,707 語) - 2024年11月1日 (金) 12:58
  • 北条時宗のサムネイル
    北条 時宗(ほうじょう ときむね)は、鎌倉時代中期の鎌倉幕府第8代執権(在職:1268年 - 1284年)。5代執権北条時頼の次男(嫡男)。鎌倉幕府執権職を世襲する北条氏の嫡流得宗家に生まれ、世界帝国であったモンゴル帝国の圧力が高まるなかで執権に就任。内政にあっては得宗権力の強化を図る一方、モンゴル…
    35キロバイト (5,154 語) - 2024年7月31日 (水) 13:30
  • 北条 綱成(ほうじょう つなしげ/つななり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。後北条氏の家臣。相模国鎌倉郡玉縄城主。北条家の主力部隊五色備えのうち、黄備え隊を率いた。綱成与力衆は組織上、玉縄衆とも呼ばれた。 永正12年(1515年)に誕生した。父は今川氏家臣の福島正成とされる。…
    11キロバイト (1,658 語) - 2024年3月19日 (火) 05:02
  • 巻第一 → 北条五代記 序・解題・総目録 作者:三浦茂正 編者:博文館編輯局 明治三十二年 1899年 姉妹プロジェクト:Wikipediaの記事, データ項目 『北条五代記』(ほうじょうごだいき)は、戦国大名・後北条氏に仕えた三浦茂正(三浦浄心)が江戸初期に著した後北条
  • 北条氏綱(ほうじょう うじつな、1487年 - 1541年)は日本の戦国大名。後北条氏の二代目で、関東地方に強大な勢力を築いた。旧姓は伊勢氏で、北条姓を名乗ったのは大永年間以降である。 其方儀、万事我等より生れ勝り給ひぬと見付候得は、不謂事なから、古人の金言名句は聞給ひても失念之儀あるへく候。親の書
(前の20件 | ) (20 | 50 | 100 | 250 | 500 件) を表示