狩野 雄一(かのう ゆういち、文久3年11月21日[1]1863年12月31日) - 大正12年(1923年4月29日[2])は、日本の衆議院議員立憲国民党立憲同志会)。

狩野雄一

経歴

編集

肥前国佐賀郡赤松(現在の佐賀県佐賀市)出身[3]。狩野玄介、タキ夫妻の長男として生まれる[1]。西肥日報社の経営にあたった[3]

1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙で当選を果たした。

著書

編集
  • 『西肥遺芳』(1917年、西肥日報社)

脚注

編集

参考文献

編集
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。 
  • 『衆議院要覧 大正元年十一月』衆議院事務局、1912年。 
  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。