佐賀市
佐賀市(さがし)は、佐賀県の中東部に位置する市。佐賀県の県庁所在地で、施行時特例市である。
さがし 佐賀市 | |||||
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国 |
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地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 佐賀県 | ||||
市町村コード | 41201-5 | ||||
法人番号 |
3000020412015 ![]() | ||||
面積 |
431.84km2 (境界未定部分あり) | ||||
総人口 |
232,572人 [編集] (推計人口、2021年1月1日) | ||||
人口密度 | 539人/km2 | ||||
隣接自治体 |
小城市、唐津市、多久市、神埼市、 杵島郡白石町(海隔てて) 福岡県:福岡市、柳川市、大川市、糸島市 | ||||
市の木 | イチョウ[1] | ||||
市の花 | サクラ[1] | ||||
佐賀市役所 | |||||
市長 | 秀島敏行 | ||||
所在地 |
〒840-8501 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
同県最大の人口を擁する。佐賀県の経済・行政の中心地。有明海から脊振山地までを縦断する市域を有し、市街地は佐賀平野の中心付近に位置する。秋には嘉瀬川河川敷を中心に佐賀インターナショナルバルーンフェスタが開催され、バルーン(熱気球)の街として賑わう。
地理編集
地勢編集
佐賀県の南東部に位置する。市域は南北に長く、南側は有明海に面し、南東部は筑後川を挟んで福岡県大川市・柳川市に、北東部でも脊振山地を境に福岡県福岡市(早良区)・糸島市に接している。
長崎自動車道付近を境にして、市域の北半分は、北部九州を東西に貫く筑紫山地に属する脊振山地であり、山がちで起伏が大きい。市域の南半分は、有明海北岸に広がる筑紫平野の西部に属する佐賀平野であり、起伏がほとんどない低平な地域で、対照的である。市街地は佐賀平野の中心付近に位置している。
2005年(平成17年)・2007年(平成19年)の周辺町村との合併によって市域は104km2から431km2へと4倍以上に拡大し、県内では唐津市に次ぐ2番目に大きな面積を有する自治体となった。
- 東端:東経130度23分
- 西端:東経130度8分
- 北端:北緯33度29分
- 南端:北緯33度8分
- 隣接している自治体
人口約24万人を有する佐賀県最大の都市だが、九州7県の県庁所在地では最少である。
福岡市とは中心部相互間で約37kmと直線距離は近いが、山地を隔てて生活圏や雇用圏は分かれているため、鳥栖市のようなベッドタウン化は目立たないが、JR九州が西鉄高速バスに対抗するため長崎線の特急電車に大幅な割引回数券を設定していて、40分程度で着席通勤できることから、佐賀駅周辺には福岡通勤者向けのマンションが立ち並ぶ。市街からの福岡市中心部への通勤者も多い。
江戸時代より佐賀藩の城下町として発達してきており、鳥栖市・久留米市が交通拠点・工業地域、唐津市が港湾・観光都市であるのに対し、佐賀市は農業地帯の中心に位置する地方都市や佐賀県中部・東部の商業都市としての面が強い。2000年代以降は観光都市としてPRする動きも活発であり、観光資源の発掘が盛んである。
佐賀平野地域編集
平野部では水辺と田園地帯が独特の自然景観を見せる。市域にあたる佐賀平野中部は、丘陵がほとんど存在せず、河川堤防を除くと全般的に海抜が低い。また中小河川や水路(クリーク)が発達していて、農業用水・生活用水や水運を目的としていたことから、市街部・田園部の別なく水路が網羅されていて、その恩恵を享受していた。一方で、脊振山地に源を発し市域西部を流れる嘉瀬川と、九州山地に源を発する九州最大の筑後川に挟まれているため、昔から洪水の頻発地帯であり、灌漑や治水によって農地や住民の生活が守られてきた側面もある。
市街地北部の国道34号付近でも海抜5mであり、有明海沿岸堤防の計画高水位より低い[2] 上、起伏が少ないため水はけが非常に悪い地域であった。一度堤防が決壊して町や農地が水浸しになると何週間も引かないことがある一方、水争いでの村同士の対立も深刻であった。これを一変させたのが、江戸時代に入ってから成富兵庫茂安らの協力で佐賀藩が行った治水事業である。平野全体で治水や灌漑を一体的に考える当時としては画期的な手法によって、洪水被害が軽減され水争いが減少した。また明治以降、干満差が大きい有明海を取り囲む高い堤防と水位調整、さらに蛇行の多い水路を直線的に改良して排水効率を向上する水路整備や排水ポンプ場整備により、現在の洪水被害は減少している。ただし、年一回程度梅雨末期に大なり小なりの市街地の冠水被害はあるものの、本市においては汚水処理管と雨水処理が完全分離された分流式下水道を採用しており、冠水時に市街地に溢れる水は雨水が主体であり、大都市に多く採用されている合流式下水道のようなし尿混じりの汚水が側溝を通じて市街地に逆流して溢れたり、雨水吐口による希釈下水の河川放流水が冠水時に混入するなどの問題はなく、また水が引いたあとの下水由来の悪臭の発生も殆どないため、浸水の程度や業種、浸水をあらかじめ想定した店舗づくりといった対策の有無等にも左右されるが、早い所では水が引いた翌日には営業を再開する店舗も見受けられる。
江戸初期に設置された石井樋により嘉瀬川から分流した多布施川は、市街地北部を縦断して水路に分化しながら佐賀城内に至り、古くより生活用水として用いられていた。現在も多布施川から旧佐賀市の水道水が取水されている。城内通過後の多布施川は佐賀江川につながり、市街地南部を再び縦断して今度は農業用水に用いられ有明海に至る。このほか巨勢川、福所江川、八田江川などが、いずれも北から南に向かって流れている。諸富町南東では筑後川に接し、中州である大中島、筑後川と早津江川に挟まれた河口州である大詫間(島の南半分が佐賀市、北半分が大川市)は市域に含まれる。
起伏が少ない佐賀平野は水田に適しており、古代より順次開墾されていって稲作地帯となった。また佐賀平野は筑後川などの土砂運搬により急速な自然陸化が進む地域で、海岸線は年々南下してきた。これに加え、江戸時代以降本格化した干拓によって、人工的に土地を造成して農地を拡大してきた。東与賀町や川副町の大部分、本庄町・西与賀町・久保田町の南端はほとんどが干拓地である。
佐賀市街は、市内平野部のちょうど真ん中付近に位置している。佐嘉と呼ばれていたこの町は、戦国時代まで佐賀平野の1農村に過ぎなかった。室町時代中期に村中城および水ケ江城を構えて拠点としていた龍造寺氏が戦国時代後期に勢力を伸ばしたことが転機となり、町が発展した。さらに、後継の鍋島氏は2つの城を慶長年間(1596年 - 1615年)に大改修し佐賀城を築城するとともに、城周辺を再整備した。その際、条里制による直線的な道路・水路を生かして碁盤の目のような整った街路区画を行っており、現在でもその名残を見ることができる。これ以降佐嘉は肥前佐賀藩の城下町として、また長崎街道の宿場町としても栄えた。中世以降「佐賀」の表記も用いられるようになり、明治維新以降は正式に「佐賀」と改められた。そして、明治初期の廃藩置県後に県庁所在地となったことで、近代以降の佐賀県の行政の中心地としての地位を確立する。
現在の佐賀市街は、佐賀駅を中心としてビル街・商業街があり、それを取り囲むように低層住宅地が位置し、住宅地郊外にショッピングセンター型の大型商業地が点在する。宅地化はやや道路に沿いながらもほぼ同心円状に進んだ。中心市街地では佐賀駅移転・工場の移転再整備・基幹道路整備という一連の流れにより再開発が進んだ地域もある。いわゆる高層建築物はほとんどなく、もともとの地形とも相まって、比較的平坦な街並みである。
地価高騰により住宅地が郊外に集積したことで、高齢化とドーナツ化現象が中心市街地の衰退を招いていたが、1990年代 - 2000年代には地価下落による再開発ラッシュの影響を受け、中心市街地に中層マンションが集積したことで、ドーナツ化は緩やかになっている。しかし、同時期に郊外型商業地の集積も進んだため、佐賀駅周辺や城内地区などの商店街型の小売業は長期的に衰退してきている。
一方の郊外部では、農地に点在していた住宅の間に新しい戸建住宅や団地が造成されるなどして、開発が順調に進められて市街地が拡大していった。通勤の軸が鉄道ではなく自動車(道路)であるため、主要道路の沿線に住宅地が形成されている。もともとの農地が区画整理されていたこと、1970年代から早期に環状道路が整備されたこと、郊外化に拍車をかける市街の地価高騰がそれほど顕著でなかったことから、スプロール現象は起こっていない。
脊振山地地域編集
脊振山地南側山麓のうち市域部分は、川久保断層などの断層系の影響で比較的急な斜面になっており、ゆるやかな丘陵地帯である小城市や神埼市方面とは異なっている。市西端(佐賀県中央部)付近に位置する1046m(市内最高点)の天山、福岡県境に連なる900m級の雷山や羽金山などが標高が高く、両地点の間には山々が連なり、その間を山間部では川上川とも呼ばれる嘉瀬川水系の河川が縫うように流れ、市北部をカーブを描きながら南下している。比較的緩やかな山合いや川岸の平地に、農地に囲まれた農村や、里山に接した山村が点在している。
川上川最上流の三瀬村西部には北山ダム、また同上流の富士町中部に佐賀県最大規模の嘉瀬川ダムがある。また、川上川水系から離れた大和町の一部や金立町・久保泉町の山間部では、少雨時に水不足になりやすいため、多数のため池が点在する。
羽金山には日本標準時標準電波 JJYを送信するはがね山標準電波送信所がある。JJY送信所は日本に2か所あり、もう1つは福島県田村市・川内村 おおたかどや山。
気候編集
佐賀市街 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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雨温図(説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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夏に雨が多い太平洋側気候、その中でも温暖で年平均気温が17℃前後と高めの九州型気候に入る。また同じ九州北西岸の福岡市や長崎市と同様に、冬季は降水量は少ないが曇天の日が多い特徴がある。年間雪日数は15.3日と雪の降る日は珍しくないが、市南部(平野部)では積もることは非常に少ない。また同じ有明海沿岸の熊本市や久留米市などと同様に、気温の上下幅が大きい内陸性気候の傾向がある。近隣の唐津市や福岡市に比べ冬の最低気温が低く、夏の最高気温が高くなるうえ、1日の最低気温と最高気温の差も大きい。 山間部は市街地に比べて年間降水量が多く、年平均気温がやや低い。また、玄界灘からの北西季節風に伴い積雪することもある。
- 観測史上最高気温 - 39.6℃(1994年(平成6年)7月16日)
- 観測史上最低気温 - -6.9℃(1943年(昭和18年)1月13日)
- 日最大降水量 - 366.5ミリ(1953年(昭和28年)6月25日)
- 月最大降水量 - 1086.0ミリ(2020年(令和2年)7月)
- 日最大瞬間風速 - 54.3メートル(1991年(平成3年)9月14日)
- 夏日最多日数 - 171日(2005年(平成17年))
- 真夏日最多日数 - 93日(1978年(昭和53年))
- 猛暑日最多日数 - 38日(1994年(平成6年))
- 熱帯夜最多日数 - 53日(2018年(平成29年))
- 冬日最多日数 - 62日(1945年(昭和20年))
佐賀地方気象台(佐賀市駅前中央)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 21.1 (70) |
23.1 (73.6) |
25.7 (78.3) |
30.8 (87.4) |
35.8 (96.4) |
37.1 (98.8) |
39.6 (103.3) |
38.6 (101.5) |
36.4 (97.5) |
33.6 (92.5) |
29.6 (85.3) |
24.6 (76.3) |
39.6 (103.3) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.8 (49.6) |
11.4 (52.5) |
14.6 (58.3) |
20.4 (68.7) |
25.1 (77.2) |
28.0 (82.4) |
31.5 (88.7) |
32.5 (90.5) |
29.1 (84.4) |
23.9 (75) |
17.8 (64) |
12.3 (54.1) |
21.4 (70.5) |
日平均気温 °C (°F) | 5.4 (41.7) |
6.7 (44.1) |
9.9 (49.8) |
15.0 (59) |
19.5 (67.1) |
23.3 (73.9) |
26.8 (80.2) |
27.8 (82) |
24.2 (75.6) |
18.6 (65.5) |
12.9 (55.2) |
7.6 (45.7) |
16.5 (61.7) |
平均最低気温 °C (°F) | 1.3 (34.3) |
2.3 (36.1) |
5.3 (41.5) |
9.8 (49.6) |
14.7 (58.5) |
19.6 (67.3) |
23.6 (74.5) |
24.1 (75.4) |
20.2 (68.4) |
13.9 (57) |
8.3 (46.9) |
3.1 (37.6) |
12.2 (54) |
最低気温記録 °C (°F) | −6.9 (19.6) |
−6.2 (20.8) |
−4.1 (24.6) |
−1.1 (30) |
3.7 (38.7) |
8.2 (46.8) |
14.3 (57.7) |
16.2 (61.2) |
9.4 (48.9) |
1.8 (35.2) |
−1.3 (29.7) |
−6.5 (20.3) |
−6.9 (19.6) |
降水量 mm (inch) | 56.7 (2.232) |
77.5 (3.051) |
128.6 (5.063) |
156.2 (6.15) |
198.2 (7.803) |
339.0 (13.346) |
338.5 (13.327) |
196.9 (7.752) |
179.5 (7.067) |
75.5 (2.972) |
75.9 (2.988) |
47.7 (1.878) |
1,870.1 (73.626) |
降雪量 cm (inch) | 4 (1.6) |
2 (0.8) |
0 (0) |
- | - | - | - | - | - | 0 (0) |
0 (0) |
1 (0.4) |
6 (2.4) |
平均降水日数 (≥ 0.5mm) | 9.3 | 8.8 | 12.2 | 10.7 | 10.1 | 13.3 | 13.1 | 10.6 | 9.9 | 6.0 | 8.0 | 8.1 | 120.1 |
平均降雪日数 (≥ 目視) | 6.4 | 4.0 | 1.5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3.3 | 15.2 |
% 湿度 | 69 | 66 | 66 | 66 | 67 | 73 | 77 | 72 | 71 | 69 | 70 | 69 | 70 |
平均月間日照時間 | 124.3 | 138.0 | 156.3 | 183.2 | 191.1 | 140.1 | 170.2 | 206.7 | 176.3 | 189.9 | 150.3 | 142.7 | 1,969 |
出典: 気象庁。平年値:1981年-2010年、極値:1890年以降[3][4] |
地域編集
地域 | 面積/km2 | 世帯[* 1] | 人口[* 1] | 旧市町村 |
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(旧佐賀市) | 127.49 | 67,716 | 161,551 | 佐賀市 |
諸富町 | 12.02 | 3,985 | 1,1392 | 佐賀郡諸富町 |
大和町 | 55.42 | 8,071 | 22,319 | 佐賀郡大和町 |
富士町 | 143.25 | 1,512 | 4,314 | 佐賀郡富士町 |
三瀬村 | 40.70 | 489 | 1,431 | 神埼郡三瀬村 |
川副町 | 46.49 | 5,802 | 1,7724 | 佐賀郡川副町 |
東与賀町 | 15.39 | 2,747 | 8,684 | 佐賀郡東与賀町 |
久保田町 | 14.39 | 2,752 | 8,394 | 佐賀郡久保田町 |
計 | 431.42 | 93,074 | 235,809 |
人口編集
佐賀市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 佐賀市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 佐賀市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
佐賀市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
2010年10月1日の国勢調査時の諸統計
- 人口:235,350人
- DID(人口集中地区)人口:138,000人 - 中心市街のほか、大和町に副市街が形成されている[5]。
- 昼間人口比率:107.11%(2010年) - 佐賀県内では鳥栖市および玄海町に次ぎ3位。
- 平均年齢:40.3歳
- 年少人口(0 - 14)割合:14.31%
- 生産年齢人口(15 - 64)割合:72.10%
- 老年人口(65 - )割合:23.36%
町・大字編集
佐賀市の地名を参照のこと。
土地区画整理事業編集
- 佐賀市土地区画整理事業(市施行、1938年(昭和13年)〜1940年(昭和15年))
- 神野第一工区土地区画整理事業(市施行、1960年(昭和35年)〜1977年(昭和52年))
- 神野第二工区土地区画整理事業(市施行、1967年(昭和42年)〜1981年(昭和56年))
- 神野第三工区土地区画整理事業(市施行、1972年(昭和47年)〜1980年(昭和55年))
- 西神野土地区画整理事業(組合施行、1973年(昭和48年)〜1980年(昭和55年))
- 八戸溝土地区画整理事業(共同3条1項、1975年(昭和50年)〜1976年(昭和51年))
- 鍋島土地区画整理事業(組合施行、1980年(昭和55年)〜1990年(平成2年))
- 兵庫土地区画整理事業(組合施行、1987年(昭和62年)〜1997年(平成9年))
- 兵庫北土地区画整理事業(夢咲コスモスタウン/ゆめタウン佐賀ほか、組合施行、1998年(平成10年)〜2012年(平成24年))
歴史編集
歴史編集
縄文時代から弥生時代にかけて、市南部の平野地域はまだ海底であったが、度重なる海進・海退と河川による土砂運搬により、今ある佐賀平野が作られる。また有明海の干拓によって平野面積がさらに拡大した。
律令制下では肥前国に属し、現在の佐賀市大和町に肥前国国府が置かれた。戦国時代には龍造寺氏をはじめ、鍋島氏・石井氏・高木氏・於保氏・八戸氏などの在地領主が割拠していたが、龍造寺氏がそれらを統合して戦国大名化。城下町の基礎が形成された。龍造寺氏が絶えたのちの1608年(慶長13年)、龍造寺氏の重臣であった鍋島直茂が藩主の座に就き、以後は廃藩置県まで鍋島氏が統治する佐賀藩の本拠地となり、佐賀城が築城された。水運と農業中心の小さな町だった現在の佐賀市街付近は、佐賀城築城後に佐賀藩本藩の城下町として発展し、商工業が大きく発達した。
佐賀藩は別名を肥前藩ともいい、明治維新において、版籍奉還を上奏した「薩長土肥」の1つとなった。また、長崎に近かったため西洋の科学技術を積極的に導入し、幕末には精錬方(藩立の科学技術研究所)、反射炉、三重津海軍所(造船所・海軍修練所)などが設置され、鉄製大砲や蒸気船、指字電信機(エーセルテレカラフ)、暗箱カメラなどが外国の技術者に頼ることなく独力で製作され、日本の科学技術近代化に大きく貢献した。
明治時代は佐賀県の併廃とともに佐賀県、伊万里県、佐賀県、三潴県、長崎県、と変わり、最後には佐賀県が分離されてその県域に入った。1889年の市制施行時の市域は現在の市中心部の一部だったが、昭和の大合併により旧佐賀市、平成の大合併により現在の佐賀市の市域となった。これにより市域は福岡県境へと拡大した。人口規模は特例市の要件(20万人)を満たし、2014年4月1日付けで移行された。
佐賀市は太平洋戦争の空襲攻撃において、アメリカ軍による爆撃優先順位が180都市中101番目と決して低くなかったが、幸いにも佐賀空襲が誤爆攻撃になった事により中心部の被害は免れ城下町の古い街並みがそのまま残った。しかし、その後目立った街並みの保存運動等が起こることが無く無秩序な建て替えなどでその多くが失われ、佐賀市歴史民俗館建物群がある旧市街東部の長崎街道沿いなどで江戸-大正にかけての町屋建築や明治 - 大正にかけての洋風建築の街並みを見ることができるのみであり、その他の旧城下市街では纏まった古い街並みは少なく古い町屋や洋館が散在する状況にある。ただし、江戸時代からの町割りや水路は良好に残されており、江戸時代の石積護岸の水路や石橋が今も現役で使用されている。
年表編集
佐賀市は1970年代以降開発が急速に進められて都市らしくなっていったが、それまでは都心の一部を除き農村と変わらない風景だった。
- 紀元前5000年頃(縄文時代前期) - 金立町千布の大規模貝塚群である東名遺跡が形成される。縄文海進のピーク期で、同時期の貝塚としては筑紫平野で唯一、西日本でも最大級の規模の貝塚。
- 4世紀末 - 5世紀前半(古墳時代) - 金立山南麓の前方後円墳である銚子塚古墳が築造される。
- 5世紀末 - 金立山南麓の円墳である西隈古墳が築造される。
- 6世紀 - 7世紀頃 - 久保泉町川久保に帯隈山神籠石の原型である山城が築かれたと推定される。
- 8世紀前半 - 大和町久池井の肥前国庁跡が成立(推定)。以後、9世紀末頃まで機能していたと考えられる。
- 12世紀 - 大和町春日の山城である春日城が成立。
12世紀 - 16世紀(鎌倉時代・室町時代) : この時期平野部では、小地頭・家人・有力百姓らが新田開墾を進めながら、自らの領地に環濠の発達した城郭を築いて割拠していた。この頃の代表的遺構に、久保泉町の古村周辺遺跡がある。やがて戦国時代に入ると水ケ江城を拠点としていた龍造寺氏が戦国大名として北部九州の広範囲にまで勢力を拡大するが、大友氏に押されて肥前東部の支配に収まる。17世紀初頭には領家が鍋島氏に継承され、佐賀藩領主となる。
- 1602年(慶長7年) - 佐賀城本丸の改修が始まる。
- 1611年(慶長16年) - 改修が終了し、佐賀城が完成する。
- 元和年間(1615年 - 1624年頃) - 成富茂安(成富兵庫茂安)によって石井樋が建設され、多布施川を通した嘉瀬川から佐賀城下への取水および洪水調節が図られる。
- 1726年(享保11年) - 大火により本丸が焼失。政務の中心を二の丸へ移す。
- 1835年(天保6年) - 大火により二の丸が焼失。政務の中心を再び本丸へ移す。
17世紀 - 19世紀(江戸時代・明治時代前期) - 佐賀藩は当初の厳しい財政を新田開発や倹約により立て直し、長崎街道を有しまた長崎警備を行っていたという地の利から先進的科学技術の導入を進めたことで、幕末には高い軍事力・技術力を有するに至った。倒幕運動への参加は戊辰戦争からと後発だったが、以降明治政府へ多くの人材を輩出する。
- 1870年(明治3年) - 佐賀藩の士族を中心とした佐賀移民団286名が組織され、北海道釧路郡の開拓にあたる。
- 1871年(明治4年)9月4日 - 佐賀県(当時)を伊万里県と改称し、県庁が伊万里に移される。
- 1872年(明治5年)5月29日 - 伊万里にあった県庁が佐賀に移され、伊万里県から佐賀県(当時)に再改称する。
- 1874年(明治7年)2月1日 - 3月1日 - 士族反乱の嚆矢、佐賀の乱がおこる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 市制施行により現在の佐賀市中心部を市域とする佐賀市が発足。
- 1891年(明治24年)8月20日 - 九州鉄道佐賀線(現在の長崎本線)鳥栖 - 佐賀間が開通。
20世紀 - 明治の佐賀は、農業および繊維業中心の軽工業を軸とした産業都市、また県庁が所在する政治的拠点として、開発が進められ人口が増加していくとともに、地方都市として成長する。
- 1933年(昭和8年)12月18日 - 佐賀玉屋が開業。
- 1935年(昭和10年)5月25日 - 佐賀線佐賀 - 筑後大川間が延伸開業。
- 1945年(昭和20年)8月5日夜半 - アメリカ軍による佐賀市の空襲。佐賀県下初の焼夷弾爆撃で63機が2196発、439トン投下。
第一次世界大戦後は農業から商工業へ主要産業がシフトするが、重工業や機械工業などの成長は伸び悩む。九州の他都市と比べて相対的に緩やかではあるが、佐賀都市圏の中心都市として開発が進められ、1990年代まで人口は増加を続ける。
- 1949年(昭和24年) - 24水。豪雨により洪水が発生、死者数十名、浸水2万戸以上という被害を出した。
- 1953年(昭和28年)6月 - 28水。豪雨により佐賀平野のほとんどの河川の堤防が決壊し、死者・行方不明者62人、総額249億円(当時の金額、現在の1300億円相当)の被害を出した。現市域南部の広範囲が浸水し、東川副村(当時)の干拓堤防を破壊して強制排水する事態となった。
- 1955年(昭和30年)9月 - 筑後川をまたぐ2つの橋、諸富町と同町大中島を結ぶ諸富橋、同島と福岡県大川市を結ぶ大川橋(ともに国道208号)がそれぞれ開通。それまで鉄道と並んで日常的に利用されていた渡船が廃止される。
- 1957年(昭和32年)3月 - 富士・三瀬に北山ダムが完成。
- 1963年(昭和38年)3月12日 - 佐賀県体育館(後の市村記念体育館)が落成。市村清による寄贈。
- 1963年(昭和38年) - 佐賀高等学校が分離、佐賀東・佐賀西・佐賀北の3高等学校が設立。
- 1971年(昭和46年)12月26日 - 市中心部の渋滞緩和のため整備されていた環状西通りおよび南部バイパス(ともに国道208号)が開通。
- 1976年(昭和51年)
- 1980年(昭和55年)11月24日 - 現在の佐賀インターナショナルバルーンフェスタにあたる『バルーンフェスタイン九州』が佐賀で初開催。
- 1985年(昭和60年)3月28日 - 長崎自動車道鳥栖IC - 佐賀大和IC間が開通。
- 1986年(昭和61年) - 三瀬峠のバイパスとして三瀬トンネルが開通。
- 1987年(昭和62年)3月28日 - 佐賀線が廃止。交通手段はバス等に転換された。
- 1989年(平成元年) - 市制施行百周年、佐賀市文化会館の開館、アジア初の熱気球世界選手権開催。
- 1991年(平成3年) - ごみの6分別収集開始。
- 1996年(平成8年)8月8日 - 大和紡績佐賀工場跡地再開発の一環として佐賀市立図書館開館。(旧佐賀市での市民の図書館利用率が日本一を記録した)
- 1998年(平成10年)7月28日 - 川副町に有明佐賀空港(現九州佐賀国際空港)が開港。
- 2003年(平成15年)4月1日 - 市営都市ガス事業が民間会社佐賀ガスに譲渡。
- 2004年(平成16年)6月27日 - 市南部で竜巻が発生し、数百件の家に被害。
- 2005年(平成17年) - 城内の佐賀市水道局跡地の利用を巡り、佐賀城本丸歴史館整備を機に高まった佐賀城公園景観保存運動により、市から建設会社への売却が問題となる。結果的に県が買い戻す(実質負担の半分以上は市)こととなった[6]。その後2007年に県が「佐賀城下再生百年構想」策定、東堀の復元などの公園整備事業が進んでいる。
- 2014年(平成26年)4月1日 - 特例市に移行。
行政区域の変遷編集
- 1889年(明治22年)4月1日 : 市町村制施行。現在の城内地区を中心とした市域の佐賀市が発足。面積4.80 km2、人口25,628人(同日調査)。また、現在の市域にあたる佐賀郡神野村・西与賀村・東与賀村・嘉瀬村・兵庫村・古瀬村・高木瀬村・北川副村・本庄村・鍋島村・金立村・久保泉村・久保田村・東川副村・西川副村・新北村・春日村・川上村・松梅村・小関村・南川副村・中川副村・大詫間村、神埼郡蓮池村・三瀬村、小城郡南山村・北山村の27村が発足。
- 1899年(明治32年)6月6日 : 古瀬村が巨勢村に改称。
- 1922年(大正11年)10月1日 : 神野村を佐賀市へ編入。9.09 km2、38,483人(同年調査)。
- 1935年(昭和10年)11月3日 : 蓮池村が町制施行。蓮池町となる。
- 1953年(昭和28年)4月1日 : 南川副村が町制施行。南川副町となる。
- 1954年(昭和29年)3月31日 : 西与賀村・嘉瀬村・兵庫村・巨勢村・高木瀬村を佐賀市へ編入。
- 1954年(昭和29年)10月1日 : 北川副村・本庄村・鍋島村・金立村・久保泉村を佐賀市へ編入。
- 1955年(昭和30年)3月1日 : 東川副村と新北村が新設合併し、諸富町が発足。
- 1955年(昭和30年)4月1日 : 蓮池町のうち蓮池、見島小松、古賀のそれぞれ一部を佐賀市へ編入。それ以外の地域は神埼郡の他3村とともに新設合併し千代田村となる。103.68 km2、126,432人(同年国勢調査)。
- 1955年(昭和30年)4月1日 : 南川副町・中川副村・大詫間村が新設合併し、川副町が発足。
- 1955年(昭和30年)4月16日 : 春日村・川上村・松梅村が合併し、大和村が発足。
- 1956年(昭和31年)9月30日 : 小関村・南山村・北山村が新設合併し、富士村が発足。
- 1956年(昭和31年)9月30日 : 西川副村を川副町に編入。
- 1959年(昭和34年)1月1日 : 大和村が町制施行。大和町となる。
- 1966年(昭和41年)10月1日 : 東与賀村が町制施行。東与賀町となる。
- 1966年(昭和41年)10月1日 : 富士村が町制施行。富士町となる。
- 1967年(昭和42年)4月1日:久保田村が町制施行。久保田町となる。
- 2005年(平成17年)10月1日:佐賀市・佐賀郡諸富町・大和町・富士町・神埼郡三瀬村が新設合併し、新市制による佐賀市が発足。合併前は103.76 km2、166,745人、総世帯数65,443世帯、人口密度1607人/km2。合併後は355.15 km2、206,967人、77,853世帯、583人/km2となった(いずれも同年国勢調査)。
- 2007年(平成19年)10月1日:佐賀郡川副町・東与賀町・久保田町を佐賀市へ編入。合併後は431.42 km2、約240,000人、約89,400世帯、556人/km2となった(同日推計)。
市町村合併編集
さがし 佐賀市 | |
---|---|
廃止日 | 2005年10月1日 |
廃止理由 |
新設合併 佐賀市(旧)、佐賀郡諸富町、大和町、富士町、神埼郡三瀬村 → 佐賀市 |
現在の自治体 | 佐賀市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 佐賀県 |
市町村コード | 41201-5 |
面積 |
103.76km2 (境界未定部分あり) |
総人口 |
166,576人 (推計人口、2005年9月1日) |
隣接自治体 |
佐賀郡諸富町、大和町、川副町、 東与賀町、久保田町、 神埼郡神埼町、千代田町、脊振村 小城市、 福岡県大川市 |
佐賀市役所 | |
所在地 |
〒840-8501 佐賀県佐賀市栄町1番1号 |
座標 | 北緯33度15分48.6秒 東経130度18分3秒 / 北緯33.263500度 東経130.30083度座標: 北緯33度15分48.6秒 東経130度18分3秒 / 北緯33.263500度 東経130.30083度 |
ウィキプロジェクト |
現行の佐賀市は、「平成の大合併」の一環として2005年(平成17年)10月1日に佐賀郡諸富町、大和町、富士町、神埼郡三瀬村と合併(新設合併)し、新たな佐賀市として発足した。合併により解散した町村はいずれも佐賀市内の一地域としてその名を残している。またこれによって市域が福岡市と隣接するようになった。県庁所在地同士が隣接する事例は京都市と大津市、仙台市と山形市に続き3例目である。
さらに、2007年(平成19年)10月1日付で、佐賀郡の中で最後まで残っていた、川副町、東与賀町および久保田町を編入し、佐賀市郡地域の広域合併を終えた。なお、平成の大合併前の佐賀市は「昭和の大合併」によって規模を拡大した経緯があるほか、平成の大合併で、佐賀県内では、小城郡が消滅し、神埼郡、東松浦郡、西松浦郡および藤津郡で、郡内の町村が1自治体だけとなっている。
政治・行政編集
市政編集
市政の方針として、第一次総合計画では、“人と自然が織りなす「やさしさと活力にあふれるまち さが」”を挙げている。
2000年代に入って木下敏之前市長のリーダーシップにより市営都市ガス事業の民間譲渡(佐賀ガスへの移行)が市職員組合の強い抵抗を押し切る形で実行されたほか、市窓口の一新、市施設や組織の見直し、NAS電池やIP電話導入による経費削減、サムスングループ系列のサムスンSDSと共同開発した新しい情報処理システム導入などの経費削減策などの大幅改革が行われた。この木下市政の急激な改革に対して批判の声が上がり、また市職員組合も反旗を翻し、2005年(平成17年)9月の市長選挙で秀島敏行(市水道局長などを歴任した市職員OB)が自民党と社民党[7] の推薦という異例の形を受けて当選。成果を挙げている財政立て直しを評価する声とが交錯した。
中心商店街および、佐賀駅前から城内にかけての中心市街地の活性化が市政の大きな課題として挙げられる。幹線道路沿いの大規模な郊外型商業地(「経済・産業」の節参照)が集客を伸ばす一方、市中心市街地の人通りはバブル崩壊以降加速的に減少の一途を辿っている。商店街で次々と店舗の閉鎖や撤退が進行していわゆるシャッター通りとなり、空洞化が問題となっている。巻き返しを狙って市が出資した商業施設と集合住宅の複合施設エスプラッツの運営は当初より厳しく、集客が伸び悩み、テナントの入れ替わりが多く現在も迷走している。
また、市町村合併により市域となった三瀬・富士・大和などの山間部では人口流出や高齢化が進行していて、過疎地域の振興も課題として挙げられる。
市町村合併に関しては、2005年(平成17年)10月に合併しなかった佐賀郡南部3町(川副町、東与賀町、久保田町)と、2007年(平成19年)10月1日に合併した。
市長編集
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
初 | 石丸源作 | 1889年5月20日 | 1891年12月 | |
2 | 石丸勝一 | 1892年2月26日 | 1896年2月 | |
3 | 永田暉明 | 1896年4月16日 | 1898年2月23日 | |
4 | 村岡致遠 | 1898年11月22日 | 1899年9月 | |
5-6 | 石丸勝一 | 1899年10月26日 | 1909年10月 | |
7 | 長谷川良之 | 1910年1月7日 | 1912年4月19日 | |
8-12 | 野口能毅 | 1912年7月5日 | 1931年2月2日 | |
13 | 野田鞆雄 | 1931年2月3日 | 1932年7月2日 | |
14 | 横尾敬義 | 1932年8月20日 | 1936年8月19日 | |
15-17 | 橋爪勇 | 1936年8月27日 | 1946年10月15日 | |
18 | 野口能敬 | 1947年4月20日 | 1951年4月14日 | この代以降公選 |
19-20 | 小野哲一 | 1951年4月26日 | 1959年4月30日 | |
21-25 | 宮田虎雄 | 1959年5月1日 | 1979年4月30日 | |
26-27 | 宮島剛 | 1979年5月1日 | 1987年1月15日 | |
28-30 | 西村正俊 | 1987年2月16日 | 1999年2月14日 | |
31-32 | 木下敏之 | 1999年3月15日 | 2005年9月30日 |
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
初-4 | 秀島敏行 | 2005年10月23日 | 2021年10月22日(任期による) | 現職 |
市長選挙編集
2017年10月15日執行編集
2013年10月20日執行編集
※当日有権者数:187,896人 最終投票率:59.23%(前回比:-4.1pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
秀島敏行 | 71 | 無所属 | 現 | 39,483票 | 36.0% | |
篠塚周城 | 63 | 無所属 | 新 | 37,724票 | 34.4% | |
小川登美夫 | 58 | 無所属 | 新 | 17,825票 | 16.3% | |
川崎稔 | 52 | 無所属 | 新 | 14,577票 | 13.3% |
2009年10月18日執行編集
※当日有権者数:187,512人 最終投票率:63.33%(前回比:-5.63pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
秀島敏行 | 67 | 無所属 | 現 | 70,856票 | 61.0% | |
蒲原啓二 | 63 | 無所属 | 新 | 45,322票 | 39.0% |
2005年10月23日執行編集
※当日有権者数:160,266人 最終投票率:68.96%(前回比:.pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
秀島敏行 | 63 | 無所属 | 新 | 56,773票 | 51.9% | |
木下敏之 | 45 | 無所属 | 前 | 52,538票 | 48.1% |
行政機構編集
[10] 当面は大概の行政業務を旧市町村ごとの支所が行う予定。窓口業務のほとんどは現在、本庁および支所でそれぞれ行われている。
本庁は総務部、企画調整部、経済部、農林水産部、建設部、環境部、市民生活部、保健福祉部、子育て支援部、地域振興部、教育部、佐賀駅周辺整備構想推進室の11部1室体制である。支所についてもほぼ同様の組織割りを課単位で行っている。
市営企業部門では、交通局と上下水道局を運営している。
市役所支所所在地
- 諸富支所(〒840-2192 佐賀市諸富町大字諸富津1番地2)
- 大和支所(〒840-0292 佐賀市大和町大字尼寺1870番地)
- 富士支所(〒840-0598 佐賀市富士町大字古湯2685番地)
- 三瀬支所(〒842-0301 佐賀市三瀬村三瀬2764番地)
- 川副支所(〒840-2295 佐賀市川副町大字鹿江623番地1)
- 東与賀支所(〒840-2221 佐賀市東与賀町大字下古賀1193番地)
- 久保田支所(〒849-0203 佐賀市久保田町大字新田3331番地3[11])
市議会編集
2007年(平成19年)10月1日の南部3町合併後に暫定定数44名(川副町3名、東与賀町1名、久保田町2名)となったが、2009年(平成21年)10月18日の選挙以降は条例定数に戻り、現在の定数は36名である。
- 議長:川原田裕明、副議長:嘉村弘和
- 自民市政会(7人)- 代表者・山口弘展
- 自民さが(6人)- 代表者・江頭弘美
- 自民政新会(5人)- 代表者・福井章司
- 公明党(4人)- 代表者・村岡卓
- ネットワーク佐賀[12](3人)- 代表者・山下伸二
- 社会市民クラブ(3人)- 代表者・松永憲明
- 政研会(2人)- 代表者・西岡義広
- 日本共産党(1人)- 中山重俊
- さが未来(1人)- 白倉和子
- 市政未来(1人)- 御厨洋行
- 光明市政(1人)- 川崎直幸(「佐賀空港への自衛隊輸送機オスプレイ配備計画『容認』決議案」に賛成できず、自民政新会から離脱したため。2019年10月3日、暴力行為等処罰法違反の疑いで現行犯逮捕。[13])
- 市民共同(1人)- 山下明子(党の重要な決定を守らず、反省もせず、態度も改めなかったことから、日本共産党から除籍されたため。[14][15])
- 欠員(1人)- (松尾和男議員が死去したため。)
- (2020年10月1日現在)
- 議会事務局
- 局長
- 副局長
- 議会総務課
- 総務係
- 議事係
- 企画法制係
- 議会総務課
- 副局長
- 局長
市議会議員選挙では、2003年(平成15年)4月の選挙の不在者投票で党派誤記が発覚し、その候補が1票差で落選、最高裁判所の判決により無効となり再選挙(再選挙では無投票となった)となった。また、次の2005年(平成17年)10月の選挙でも投票者より票のほうが13票多くなるという集計ミスがあった上、按分票の判断で1票差(厳密には0.226票差だった)で当選した候補の当選が無効となり次点候補が繰り上げ当選した。さらに2007年(平成19年)の参院選では不在者投票の二重計上で開票時間が大幅に遅れるなど、佐賀市選挙管理委員会のミスが続いた。
県政編集
国政編集
議員名 | 党派名 | 当選回数 | 備考 |
---|---|---|---|
原口一博 | 立憲民主党 | 8 | 選挙区 |
岩田和親 | 自由民主党 | 3 | 比例復活 |
議員名 | 党派名 | 当選回数 | 備考 |
---|---|---|---|
福岡資麿 | 自由民主党 | 2 | 第24回(2016年) |
山下雄平 | 自由民主党 | 1 | 第23回(2013年) |
国の機関編集
- 裁判所
- 警察庁
- 総務省
- 九州管区行政評価局佐賀行政監視行政相談センター
- 法務省
- 福岡出入国在留管理局佐賀出張所
- 財務省
- 福岡財務支局佐賀財務事務所
- 長崎税関三池税関支署久留米出張所佐賀空港事務所
- 福岡国税局佐賀税務署
- 厚生労働省
- 農林水産省
- 九州農政局佐賀県拠点
- 九州農政局北部九州土地改良調査管理事務所嘉瀬川上流支所
- 九州森林管理局佐賀森林管理署
- 国土交通省
- 佐賀地方気象台
- 防衛省
広域行政・公共サービス編集
消防編集
ほぼ全域が佐賀広域消防局(佐賀市のほか、多久市と小城市、神埼市と神埼郡吉野ヶ里町を管轄)の管轄。佐賀、南部、北部、小城、多久、神埼の6消防署および3分署、6出張所を配置している。旧三瀬村のみ2013年3月に解散した神埼地区消防事務組合に属していた。(旧三瀬村のほか神埼市、神埼郡吉野ヶ里町を管轄)
警察編集
- 佐賀県警察佐賀北警察署 - 旧佐賀市北部(概ねJR長崎本線より北側)・大和・富士・三瀬を管轄(交番:6箇所、駐在所:7箇所)
- 佐賀県警察佐賀南警察署 - 旧佐賀市南部(概ね長崎本線より南側)・諸富・川副・東与賀・久保田を管轄(交番:5箇所、駐在所:11箇所)
水道編集
- 佐賀市水道局 - 旧佐賀市・諸富・大和を管轄
- 佐賀東部水道企業団 - 東与賀、川副を管轄
- 西佐賀水道企業団 - 久保田を管轄
他の地域については、共同の簡易水道や私設井戸などを使用している。
下水道編集
広域集中処理される佐賀市公共下水道のほか、集落単位で運営される佐賀市市営浄化槽、特定環境保全公共下水道、農業集落排水の4種類が運営されている。
都市ガス編集
- 佐賀ガス - 旧佐賀市を中心に展開。
ごみ編集
旧佐賀市・久保田では共同運営での収集、川副・東与賀でも共同運営での収集、三瀬・諸富では脊振共同塵芥処理組合による収集、大和・富士では旧町単位での収集が行われている。
医療編集
- うえむら病院
- 小野病院
- 小池病院
- 国立病院機構佐賀病院
- 小柳記念病院
- 境野病院
- 佐賀記念病院
- 佐賀県医療センター好生館(災害拠点病院)
- 佐賀中部病院(旧・佐賀社会保険病院)
- 佐賀市立富士大和温泉病院
- 佐賀整肢学園 こども発達医療センター
- 佐賀大学医学部附属病院(災害拠点病院)
- なゆたの森病院(旧・至誠会病院)
- 正島脳神経外科病院
- 副島病院
- 田中病院
- 福田脳神経外科病院
- ふじおか病院
- 藤川病院
- 諸隈病院
時間外小児医療に関しては、市が佐賀市休日夜間こども診療所を開設してサポートを行っている。小児以外の時間外診療などの救急医療に関しては、県が佐賀県医療機関情報・救急医療情報システム「99さがネット」を開設している。
郵便編集
佐賀市内の主要な郵便局として、県庁前・駅前大通り・貫通道路に面した佐賀県中心局である佐賀中央郵便局、集配局として佐賀県最大規模である佐賀北郵便局(2007年(平成19年)2月4日をもって春日郵便局(〒840-02)の集配業務が移管された。)、諸富地区の中心局諸富郵便局などがある。なお、佐賀県内には地域区分局が存在しないため、市域の地域区分局は久留米東郵便局(〒839-87)であり、集配局をまたぐ郵便物は一旦久留米東局を経由して配達される。
集配局としては、佐賀中央郵便局(〒840-00,〒840-08)、佐賀北郵便局(〒849-09,〒840-02)、古湯郵便局(〒840-05)、三瀬郵便局(〒842-03)、諸富郵便局(〒840-21)、早津江郵便局(〒840-22)、久保田郵便局(〒849-02)の7か所が市内に所在する。
電話編集
佐賀市内全域で、単位料金区域は佐賀MA、市外局番は0952である。ちなみに、1976年までは市外局番は09522と5桁であり、4桁に変更された際に番号逼迫対策として佐賀市街地北部の一部で09522-Xから0952-30へと市外・市内局番の変更が行われた。
経済・産業編集
郊外では広い平野と水利を生かした穀類を軸にした農業、有明海の性質に適した海苔養殖を軸にした漁業が地域産業として維持されてきた。一方の工業では伝統的な背景などから、重工業よりも軽工業の方が発達しているという特徴がある。
もともと有数の稲作地帯であった広い農地は、農業を取り巻く環境の変化に応じて野菜畑などに転用することで維持されてきた。工業に関しては地勢上、海(有明海)には面しているが、遠浅で大型船が航行できない海域であるため、重工業があまり発達してこなかった。また、20世紀前半に石炭を産出して栄えた県西部とは対照的に炭鉱が無かったため、炭鉱業やその後継としての工業が発達しなかった。
一方、食品産業が根付いていた経緯などから食品工業や繊維産業が発達してきた経緯がある。食品産業は依然として強いが、1970年代頃より繊維産業は主軸から外れた。しかし1990年代以降、北部九州に自動車・自動車部品産業が集積してきたことに影響されて、新たに自動車部品産業が伸びてきている。
県庁所在地であり就業者数からみてもサービス業の占める比重は大きいが、商業において出荷額が他の同規模都市に比べてとりわけ多いわけでもない。現在、売場面積5万m2クラスの大型郊外型商業施設が3施設競合状態にあり、供給に対する需要のアンバランスが見られるが、土日や祝日には県西南部からも集客をしている。
本店・主要営業所を置く企業は県内都市では随一だが、周辺各県に比べると必ずしも多くない。地方の県庁所在地によくみられる、支店経済都市的な傾向もある。
産業別人口では第3次産業が7割を超えるが、九州7県の中では最も低く全都道府県中でも中位にある。第2次産業の割合が少ない一方、第1次産業の割合が比較的高い。(2005年10月1日、国勢調査のデータ[16])
- 第1次産業:8,756人(7.6%)
- 第2次産業:21,968人(19.2%)
- 第3次産業:83,092人(72.4%)
- 分類不能の産業:895人(0.8%)
(参考・現佐賀市(前掲)と旧佐賀市(後掲)の2000年(平成12年)10月1日現在の産業別人口[16])
- 第1次産業:9,415(8.0%) - 2,798人(3.5%)
- 第2次産業:25,585(21.8%) - 16,022人(19.2%)
- 第3次産業:82,114(69.9%) - 60,655人(76.1%)
- 分類不能の産業:362(0.3%) - 275人(0.3%)
第1次産業編集
県庁所在地だが郊外は田畑が広がっていて、耕地面積は11,000haと県内最大で農業も盛んである。耕地の大部分を占める平野部では、表作として夏に米を生産、裏作として秋から春にかけて大麦(特に二条大麦のシェアが高い)、小麦などの麦類、また大豆などの豆類を生産する二毛作が定着しており耕地利用率は140%前後で推移している。穀倉地帯と言われるように穀類の生産が総じて多いのが特徴である。
近郊農業や大消費地向けとして野菜や花卉類の生産も一定の規模がある。果物類では、さがほのかブランドでのイチゴ生産量が多いほか、山の斜面でのみかんは露地栽培も盛んでハウス栽培が多い県西部とは対照的である。畜産では、肉牛や豚、鶏などの飼育も山間部を中心に行われている。著名なものとして、ブランド牛肉である佐賀牛、地鶏のみつせ鶏などが挙げられる。山間部の林業は後継者不足により衰退が著しい。
平成の大合併前の佐賀市域は海に面する地域が狭かったが、合併した久保田町・東与賀町・川副町の有明海沿岸では海苔の養殖が非常に盛んである。関連する海苔加工などの製造業も含めて地域の主産業となっており、市町村別の海苔生産額は全国1位である。サルボウ(モガイ)、ウミタケ、ワラスボ、ムツゴロウといった有明海特有の海産物も獲れ、郷土の味としても親しまれている。
- 市内の漁港
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第2次産業編集
現在出荷額が最も多いのは食品工業を中心とする軽工業である。輸送の利便性から明治時代より工場は佐賀駅周辺に集中していたが、戦後から1970年代にかけて大和紡績佐賀工場の閉鎖を筆頭として、市街地開発などによる工場の撤退・移転が相次いだ。代わって、用地開発のコストが小さく交通の便のよい長崎自動車道や国道周辺に工業団地が造成され、誘致された工場群が工業の中心となった。
江崎グリコグループは創業者江崎利一が佐賀県出身である関係から地場企業であり、現在も市街地に工場を構えている。また同様に佐賀駅近くに拠点を有する戸上電機製作所などもあり、産業別では電気機械器具の出荷額も比較的多い。
また、諸富町の味の素九州工場も古くから立地している主力の地場企業である。諸富町は対岸の福岡県大川市と並んでたんすを主とする家具産業も盛んで、多くの中小企業が集まっており地場産業となっている。また久保田町には1923年操業開始の王子マテリア佐賀工場が立地している。
第2次産業従事者数は緩やかに減少しつつあるものの、継続的な雇用維持や産業育成のため、市は進行中の久保泉工業団地の誘致、従来からの食品産業の振興や、北部九州に集積されつつある自動車産業の関連産業の誘致などを推進している。
- 主な工場集積地
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第3次産業編集
県中部や東部の中心都市として多くの店が集まり、サービス業、卸売業、小売業、飲食店などが盛ん。1990年代から郊外の幹線道路沿いに大型商業施設が続々と整備され、集客を伸ばしている。一方で、市中心部の商店街では空洞化が深刻となっている。
中心市街地活性化に関しては、駐車場不足、目玉となる商業施設の不在などが挙げられている。また、乗用車やバスなどが市民の主な交通手段であるにもかかわらず、駐車場が不足していることも挙げられる。一方で広大な売場面積を有する郊外の大型商業施設は車によるアクセスの良さから賑わいを見せ、幹線道路沿いでは商業集積が進んでいる。
- 主な商業地
- 中心商店街 - 佐賀駅から県庁周辺の市中心部の商店街。銀天通り、片田江、唐人町、呉服町、元町、新道、水ヶ江、県庁通り、白山など。佐賀玉屋を核店舗として広範囲に多業種の店舗が散在する。
- 大和町南部 - イオン・ベスト電器佐賀大和店・ホームワイド・イオンシネマ等を擁する大型商業施設イオンモール佐賀大和を中心に集積。国道263号沿いで長崎道ICにも近い。
- 兵庫町(夢咲コスモスタウン) - ゆめタウン・ベスト電器佐賀本店・ニトリ・トイザらス等を擁する大型商業施設ゆめタウン佐賀を中心に、周辺にはエディオン、GOLF5、SPORTS DEPO等が集積。国道34号・環状東通り沿い。
- 巨勢町 - Mr.Max・109シネマズ等を擁する大型商業施設モラージュ佐賀を中心に集積。国道264号・環状東通り沿い。
このほか、環状線、それ以外の国道34号、国道263号、国道208号などの幹線道路沿線に、大型のロードサイド店が集まる場所や小規模商店街がある。
佐賀市に本社を置く主な企業編集
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マスメディア編集
他のチャンネルは隣県の放送を受信している。詳細は佐賀県#テレビ放送局を参照。他の中継局およびchについては佐賀市内デジタルテレビ中継局を参照。
NHKラジオ第二については、平野部や山間部南部ではNHK熊本放送局(873 kHz)山間部北部ではNHK福岡放送局(1017 kHz)のカバーエリアとなっている。 |
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特産品編集
- 丸ぼうろ(菓子) - 南蛮渡来菓子
- 白玉饅頭 (菓子) - 與止日女神社の門前菓子
- あめがた (菓子)
- さが錦(菓子)
- 肥前ビードロ - 精錬方で江戸末期から実験用ガラス器具を製造したことに始まり、食器やランプ用の生産を経て、工芸品として継承されている。
- 鍋島緞通 - 佐賀藩御用品として発達した木綿絨毯。
- 名尾和紙 - 大和町名尾に伝わる伝統的製法の和紙。
- 佐賀海苔 - 一般用のほか、贈答用に特化した高級品も多く生産。最高級品を「佐賀海苔 有明海一番」の名で販売している。
教育編集
- 大学・短期大学
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- 高等学校
県立高等学校
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私立高等学校
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- 中学校
佐賀市立中学校
佐賀県立中学校
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私立中学校 国立大学附属中学校
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- 小学校
佐賀市立小学校
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国立大学附属小学校
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幼稚園
市立幼稚園
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私立幼稚園
国立大学附属幼稚園
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- 保育所
- 佐賀県保育所一覧を参照。
- 特別支援学校
佐賀県立
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国立大学附属
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- 各種学校・専修学校
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- 学校教育以外の施設
交通編集
古くから長崎街道やそれに沿う道、運河が特に発達していた。明治時代に鉄道が開通した後道路が発達し始めたものの、市街地だけだった。戦後、市街地以外で土地整理が行われたのに伴い大きな道路が発達し、国体が開催された1970年代後半ころにその動きが加速した。その後、交通量の増加により城下町特有の街路の狭さも相俟って中心市街地の交通渋滞が深刻化し、これを緩和するために市街地を取り囲む形でほぼ全線4車線の環状道路が整備され、また1985年(昭和60年)には高速道路が開通し、今に至っている。
古くからの市街地(旧城下町エリア)は長崎街道防衛ために整備された名残で短く曲がり角の多い道になっているが、環状道路などの周辺バイパス道がよく整備されていることにより、通過目的のみの大型貨物車や乗用車の中心部への流入が極端に少なく、朝夕の通勤ラッシュ時間帯を除いて中心部の交通渋滞はそれほど問題とはなっていない。そのほかの周辺地域ではほとんどが田を埋め立てて造成された道路なので直線道路が圧倒的に多く、ドライバーにとっては走りやすい道路が多い[17]。
近年では、県東部の鳥栖市周辺が交通の中心であり、久留米・鳥栖と長崎・佐世保を結ぶ道路・鉄道の通過点的な性格が強く、拠点としては伸び悩んでいる。熊本・大牟田方面とを結んでいた国鉄佐賀線の廃線はこれに拍車をかけた。ただ、道路に関してはこの方面とを結ぶ有明海沿岸道路が整備されつつあり、唐津方面とを結ぶ西九州道などの整備も進めば現状より改善される可能性がある。
- 周辺地域へのアクセス
- 鳥栖市など県東部、久留米市方面 : 長崎本線、34号・264号・長崎道
- 鹿島市など県南西部 : 長崎本線、34号・207号・444号
- 武雄市、伊万里市など県西部 : 長崎本線⇒佐世保線・松浦鉄道西九州線、国道34号・498号・長崎道
- 多久市など中部、唐津市など北西部 : 長崎本線⇒唐津線、203号・323号・長崎道
- 福岡市方面 : 長崎本線⇒鹿児島本線、263号・385号、長崎道・九州道
- 長崎市方面 : 長崎本線、34号・長崎道
- 佐世保市方面:長崎本線・佐世保線、34号・35号・長崎道⇒西九州道
- 大牟田市・熊本市方面 : 208号・有明沿岸道
- 東京・大阪方面 : 長崎本線 - 鹿児島本線 - 山陽本線(山陽新幹線)・東海道本線(東海道新幹線)、佐賀空港、福岡市方面⇒福岡空港
空港編集
川副町(佐賀市最南端)に所在。アクセスは、市中心部と佐賀空港の間を路線バスが結んでいるほか、リムジンタクシーも運行している。
佐賀空港開港以前から現在も福岡空港が実質的な最寄り空港として市民に利用されている。福岡空港のほうが便数と国内外の接続都市が多く運行時間が多様であることと、佐賀駅バスセンターと福岡空港を結ぶ西鉄高速バスが始発から最終便との接続まで1時間に1本以上運行されており、公共交通利用に限れば利便性で劣位にある。特に佐賀駅バスセンターから佐賀大和インターまでの国道263号線沿いの住宅街に路線バス並みの停留所を設置していることから、市街地北部からは佐賀空港よりも福岡空港のほうが圧倒的に利便性が高い。また長崎線および鹿児島線と福岡市営地下鉄を乗り継いでも、首都圏のほとんどの地域からの羽田アクセスより円滑に福岡空港に到達できる。
これに対抗するため、佐賀空港は大規模なの無料駐車場をターミナル前に設置し、地域交通の主軸である自家用車利用者の取り込みを図っている。
鉄道編集
県庁所在地の市ではあるが市内に駅は少なく、常設駅は4駅(臨時駅のバルーンさが駅を含めても5駅)しかない。これは全国の県庁所在地では最少である。
道路編集
- 高速道路
- 一般国道
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- 県道(主要地方道)
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- 主な一般県道(その他の一般県道は佐賀県の県道一覧を参照)
- 佐賀県道333号佐賀環状東線(東部環状線(環状東通り))
- その他の主要道路
バス編集
以下の各社により、佐賀駅に隣接する佐賀駅バスセンターを中心に近隣の市町村とを結ぶ路線網が構築されている。
- 佐賀市交通局(佐賀市営バス):佐賀市内のうち主に平野部の全域に路線を持つ。佐賀市内発着の佐賀空港連絡バスも運行する。
- 昭和自動車(昭和バス):佐賀市北部や小城市北部・多久市・唐津市など、主に県北部・北西部・北東部と佐賀市中心部を結ぶ路線。
- 祐徳バス:武雄市・鹿島市・嬉野市など、主に県西部・西南部と佐賀市中心部を結ぶ路線。
- 西日本鉄道グループ(西鉄バス):子会社の西鉄バス久留米・西鉄バス佐賀が神埼市などの県東部や福岡県内の久留米市・大川市・柳川市と佐賀市中心部を結ぶ路線を運行している。また佐賀市中心部と福岡市中心部を結ぶ高速バス「わかくす号」、佐賀市中心部と福岡空港を結ぶ高速バス、佐賀空港と福岡市中心部を結ぶ高速バスを運行する。
- ユタカ交通:京阪神と北部九州を結ぶ夜行高速バス「ユタカライナー」が金立サービスエリアと佐賀駅付近に停車する。
- ジョイックス交通:神埼市と三瀬地区を結ぶ三瀬神埼線を運行する。
- ロイヤル観光:富士町コミュニティバスのうち、朝夕に運行されるマイクロバス便を担当する。
コミュニティバス
- 富士町コミュニティバス - 旧富士町内で運行。上記のロイヤル観光担当分を除き乗合タクシーでの運行である。朝夕の便以外は予約制。
- 三瀬地区コミュニティバス - 旧三瀬村内で運行。乗合タクシーでの運行。
船舶編集
市内には漁港しかなく、佐賀市を発着する一般旅客航路は無い。諸富町では、夏季に定期遊覧船や予約制遊覧船が運航している。
姉妹友好都市・提携都市編集
国内
国外
観光・文化編集
中心市街地周辺では、江戸時代に成富兵庫茂安の石井樋建設によって嘉瀬川から分流された多布施川が市中を縦断、城内を経て佐賀江川に至るのをはじめ、中小河川の支流が街中を張り巡らしていた。古くからの城下市街地では表通りを流れる水運路が美しい景観を生み出す一方で、家々の裏にも飲用水の供給を目的とした背割り水路が網羅されていて、昭和40年ごろまでは生活用水や水遊び場として広く利用されていた。またこの水はやがて用水路に至り農業用水としても活用されていた。しかし次第に生活排水による水質悪化が問題となって、生活用水としては利用されなくなっていたところ、市民運動から始まった「水対策市民会議」(1980年 - )によって年2回の市内一斉河川清掃「川を愛する週間」運動が展開されたことにより水質改善、また水路網の修景や保存意識が高まり水辺の環境が向上した。こうした経緯、環境から旧・佐賀市は水の郷百選に選ばれている。
また、平野部では佐賀平野特有のクリークが多く点在している。クリークは、夏季には河川と水量を調節しながら水が供給され、冬季などはため池のような役割を担い、年中ほとんどの時期で水を有している。そのため、トンボやホタルなどが多く生息しており、この地域の自然の特徴とされている。これらは観光資源でもあり、「トンボ王国・さが」と題して観光や環境教育に活用されている。
一方で、水辺が多いことで蚊が多く発生しやすいといわれており、市報でも毎年蚊対策を呼びかけるほどで[18]、蚊の羽音になぞらえて「ぶーんか都市」(「文化都市」と掛けている)と自嘲する声もある。
一方で、山岳部でも水辺の環境は良好で、旧富士町も「緑と清流と温泉の町」として水の郷百選に選ばれている。
中心部の街角の至る所に恵比寿像が点在し、総数は500体近くあるとされている。これらは、江戸時代より商売繁盛などを願って設置されたもので、古くより身近な存在として市民に親しまれてきた。観光素材として取り上げる動きはこれまでなかったが、2004年より市民団体や行政によって「恵比須八十八ヶ所巡り」などの観光事業も行われている[19]。
古墳時代の遺跡から佐賀藩時代の城跡、さらに幕末期の反射炉跡まで、比較的多くの史跡が残っている歴史のある街である。近年、観光資源の発掘が盛んでかつて住宅街に埋もれていた佐賀城本丸周辺も立ち退きが進み観光地的雰囲気を醸し出し、特に2004年の天保期の本丸御殿を再現した県立佐賀城本丸歴史館の開館以降市内観光の中心的役割を担っている。また日本の科学技術近代化の一翼をになった佐賀藩のお膝元だけに国産初の蒸気機関車模型(蒸気車雛形)、蒸気船模型、湿板写真機、高度な撮影・現像技術に裏打ちされた藩主直正公の鮮明な肖像や慶応年間の城下の古写真、トンメス分析表などの幕末に製作された科学技術近代化遺産が豊富である。現在もその名残として佐賀藩精錬方の流れを汲むガラス器製造が副島硝子によって継承されている。その他無形遺産が比較的豊富で、古くは肥前国風土記の伝承があるほか、葉隠や徐福などの伝説も残っている。
食文化で特筆すべき点は長崎街道(シュガーロード)沿いにあることによる菓子文化の発達が挙げられる。潤沢に手に入った砂糖と豊饒な佐賀平野で穫れるもち米や小麦を材料とした上に、南蛮・中華貿易を通じて伝来した製法により古くからバリエーション豊かな菓子が作られてきており、今では信じられないことに多くの市内老舗菓子店でもカステラの斤単位≒600gでの量り売りなどが盛んに行われ、戦前には製菓業は人気の職業として三番目にあげられるほどであったが、中心部の衰退とともに菓子店は次第に数を減らし、かつて盛んに生産され名物になっていた米おこしや、婚礼用の金華糖の一種である寿賀台(すがだい)など幻となった菓子も多い。しかし近年シュガーロードが脚光を浴びることで観光資源として再び注目を集め始めている。
文化公共施設編集
- どんどんどんの森
- 佐賀市立図書館
- 佐賀県立女性センター・佐賀県立生涯学習センター(複合施設。愛称「アバンセ」)
- 城内地区周辺
- 日の出地区
- 佐賀県総合運動場陸上競技場 - サガン鳥栖の準ホームスタジアムとして年間数回程度開催されることもある。
- 佐賀県総合体育館 - 久光製薬スプリングスのホームとしてV・プレミアリーグの試合も開催される。
- 佐賀市文化会館 - ライブ、コンサートなどでは佐賀県の中心施設。
- 佐賀県立森林公園野球場
- 佐賀ブルースタジアム(佐賀市立野球場)
- 佐賀市立体育館
- 佐賀市健康運動センター
- 旧佐賀郡
- スポーツパーク川副
- 佐賀市立諸富文化体育館(ハートフル)
- 佐賀市立図書館(東与賀館)
- 川副公民館(旧川副町民会館)
史跡・歴史遺産編集
- 吉村家住宅 - 1789年建造とされる佐賀県下最古の現存する住宅。富士町上無津呂。
- 久保泉町・金立町・大和町付近には、多数の古墳をはじめとして、古代〜中世あるいはそれ以前の史跡が点在する。
- 与止日女神社 - 肥前国の一宮。與止日女神を祀る。
- 鎮西出雲大社 - 文永十年(1273年)に(再建)建立。関白豊臣秀吉公が訪れた事がある。
葉隠発祥地 - 大和町黒土原とされ、山本常朝の碑が立てられている。
- 佐賀市街地には佐賀藩時代、明治維新期の史跡が点在する。
- 佐賀城跡・佐賀城本丸歴史館(ホームページ [1])
- 佐嘉神社・松原神社
- 与賀神社 - 楼門、三の鳥居、石橋は国の重要文化財に指定。
- 高伝寺 - 龍造寺氏、鍋島氏の菩提寺。
- 徴古館 - 鍋島家の資料館。
- 築地反射炉跡 - 長瀬町にある日本最初の実用反射炉の跡地。
- 多布施反射炉跡 - 幕府からの鉄製大砲注文に応えるために増設された炉。
- 精錬方跡 - 幕末西洋科学技術の最先端研究施設「精錬方」の跡地。
- 大隈重信旧宅 - 早稲田大学の創設者・初代総長大隈重信の生家・旧宅。国指定史跡。
- 大隈重信記念館 - 大隈重信侯の誕生125年を記念して開館。大隈重信旧宅に隣接。
- 佐賀市歴史民俗館 -長崎街道沿いに残る 旧古賀銀行・旧古賀家・旧牛島家・旧三省銀行・旧福田家の五つの歴史的建造物群。
- 野中烏犀圓 - 佐賀の老舗薬店。江戸期の店舗は国の登録有形文化財である。通常非公開であるが、希少な「解体新書初版」と火薬製造に欠かせない無機定性分析表である「トンメス分析表」を所蔵する。
- 筑後川昇開橋 - 筑後川に架かる、旧国鉄佐賀線の朱塗りの可動式橋梁。国の重要文化財。機械遺産。
- 山口家住家 - 19世紀前半に建てられたとされる、この地域特有の「じょうご造り」の古民家。国の重要文化財。川副町大詫間。
- 佐野常民記念館
- 三重津海軍所跡 - 幕末に設置された佐賀藩の海軍所跡。蒸気船等修船・運用と教育機関が存在した。世界遺産『明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業』構成資産。
- 龍造寺隆信像と燈堂(あかしどう)。
- 鍋島直正公銅像 - 肥前国佐賀藩10代藩主鍋島直正公の銅像。佐賀城本丸御殿の北側の二の丸跡(鯱の門北側広場)に平成29年に再建。
- 島義勇銅像 - 「北海道開拓の父」佐賀藩藩士・島義勇の銅像。佐賀城公園「西御門橋」南側。
- 行幸記念碑 - 東与賀町。昭和天皇最後の行幸地。
このほか、各地に徐福の伝説が残る。佐賀市内だけでも金立町、諸富町、富士町、大和町の4か所が徐福ゆかりの地とされている。上陸地の諸富町寺井津「浮盃」、片葉の葦、新北神社のビャクシン、金立町「千布」、阿辰観音、金立山のフロフキ(徐福記念館)など経路上に多数の伝説がある[21]。
名所、景勝地、公園など編集
- 北山ダム、21世紀県民の森 - 釣りやサイクリングなどの行楽地、避暑地として利用される。散策路、自然景観の名所でもある。
- 三瀬ルベール牧場 どんぐり村 - 南フランスの田舎町をイメージした観光牧場。
- 三瀬温泉やまびこの湯
- 天山スキー場 - 県内唯一のスキー場で、11月 - 3月頃に営業[注釈 1] ドリフトサーキット場などの夏季営業もあり。
- 西の谷の棚田 - 日本の棚田百選。富士町古湯。
- 古湯温泉 - 古くより湯治場として栄える。美人の湯。
- 熊の川温泉 - 盛衰を繰り返し、湯治場として現在に至る。
- 川上峡 - 「九州の嵐山」とも呼ばれる。渓流の周囲に景勝地や行楽地、温泉などが点在。
- 巨石パーク - 10 m以上の巨石群をテーマとした公園。
- 大和中央公園 - 5 - 6月に見ごろを迎える花しょうぶ園がある。
- どんどんどんの森
- 金立公園、金立山いこいの広場 - 遊戯施設・アウトドア施設、桜・紅葉・コスモスの名所。植物・薬草の資料館もある。
- 夢咲公園 - 児童遊園。
- 蓮池公園 - 蓮池藩の庭園を継承。桜や菖蒲の名所。
- ひょうたん島公園 - 佐賀平野のクリークを保存。農業をテーマとした体験なども実施。
- 多布施川河畔公園 - 市街地から郊外に至る散策路、桜の名所。
- 神野公園 - 小動物園やとんぼ池がある。隔林亭近くの池沿いなど園全体に桜並木(隣接する多布瀬川ともつながる)が植えられている。
- 神野公園こども遊園地 - 小規模ながら県内唯一の遊園地を擁する。
- 隔林亭 - 鍋島家の茶屋を再建したもの。
- 佐賀県立森林公園 - 自然公園とスポーツ施設を併設。
- 佐賀城公園 - 城堀沿いと城跡周辺に広がる公園。散策路、桜や紅葉の名所。
- 空港公園 - アスレチック施設、観光施設。
- 近隣にはコスモス園、わた畑も整備されている。
- 川副さくらロード
- 松土居公園
- 東よか干潟(ラムサール条約湿地、2015年5月29日登録)
- 干潟よか公園 - アスレチック施設。
- シチメンソウ群生地 - 東与賀町の有明海沿岸一帯。
- ふれあいクリーク公園
祭事・催事編集
- 白鬚神社の田楽 - 久保泉町川久保で10月18日と10月19日に行われる田楽。2000年(平成12年)に国の重要無形民俗文化財に指定。
- 見島のカセドリ - 蓮池町見島地区で小正月にあたる2月第2土曜に行われる来訪神行事。2002年(平成14年)に国の重要無形民俗文化財に指定。
- 三重の獅子舞 - 諸富町で10月に行われる獅子舞。佐賀県の重要無形民俗文化財に指定されている。
- 佐賀城下栄の国まつり - 8月初旬市の中心部で開かれる。
- 精霊流し - 8月15日夕方から夜にかけて実施。現在は主に久保田町の嘉瀬川沿いや八戸町などで行われている。古くは市街地南部の各地で行われていたが、船や供物が岸に流れ着いてその処分が問題になったことから自粛する地域が増え、供物を乗せず灯籠のみとしたり、場所を指定し下流ですべて回収したり、共同の精霊船とするなどの対策をとって実施するようになってきている。
- 銀天夜市 - 6月・7月から8月まで土曜日を中心に商店街で開かれる。
- 佐賀インターナショナルバルーンフェスタ - 10月下旬 - 11月上旬に開かれる熱気球の国際大会。
- SAGAバルーンチャレンジシリーズ - 11月下旬 - 2月下旬まで断続的に行われるバルーンフェスタ開催後の小規模大会。
- 佐賀ライトファンタジー - バルーンフェスタ開幕前日から翌年1月ごろまで行われる市街部道路のライトアップ。
- 佐賀城下ひな祭り - 2月から3月まで開かれる。
- チューリップ祭り - 4月に久保田町で開かれる。
- 古湯映画祭 - 9月に富士町古湯温泉で開かれる映画祭。
その他編集
スポーツ編集
- スポーツチーム
共に鳥栖市をホームタウンとしているサガン鳥栖(Jリーグ)と久光製薬スプリングス(V.LEAGUE)は同市をホームタウンとしていないがホームゲームを開催している。
- スポーツイベント
出身者編集
政治
- 江藤新平 - 佐賀の七賢人の1人
- 大隈重信 - 佐賀の七賢人の1人
- 大木喬任 - 佐賀の七賢人の1人
- 島義勇 - 佐賀の七賢人の1人
- 副島種臣 - 佐賀の七賢人の1人
- 本野一郎 - 第32代 外務大臣)
- 池田直 - 官僚、政治家、元佐賀県知事
- 小林勝馬 - 鍼灸師、政治家、元参議院議員
- 原口一博 - 第12・13代 総務大臣
- 岩田和親 - 衆議院議員、元防衛大臣政務官、元佐賀県議会議員
- 川原誠 - 経済産業技官、秋田県副知事
- 大井又次 - 台湾総督府官僚、彰化市長
文化
- 宮地嘉六 - 小説家
- 三好十郎 - 小説家
- 戸川幸夫 - 小説家
- 井手雅人 - 小説家、脚本家
- 満岡伸一 - アイヌ研究家、俳人
- 岡田三郎助 - 洋画家
- 久米桂一郎 - 洋画家
- 野村昭嘉 - 画家
- 針すなお - 漫画家
- 牛島慶子 - 漫画家
- 紫堂恭子 - 漫画家
- 326 - イラストレーター
- 岡康道 - クリエイティブ ディレクター、CMプランナー、コピーライター
- 志波西果 - 映画監督
- 神代辰巳 - 映画監督
- 嬉野雅道 - テレビディレクター、プロデューサー、カメラマン、脚本家
芸能
- 朝夏まなと - 元宝塚歌劇団宙組トップスター
- 荒木真樹彦 - ミュージシャン
- 内山敬太 - ミュージシャン、ケイタクの「ケイタ」
- SOH - 歌手、GReeeeN
- 千綿ヒデノリ - ボーカリスト
- 辻萬長 - 俳優、声優
- 中越典子 - 女優
- 西岡孝洋 - フジテレビアナウンサー
- はなわ - 芸人
- 塙宣之 - 漫才師、ナイツボケ担当
- 浜田百合子 - 女優
- 誠直也 - 俳優
- 松尾千歳 - ミュージカル俳優
- 松尾れい子 - 女優
- 真菜 - 歌手、SEED
- 村井国夫 - 俳優
- 本村健太郎 - 弁護士、俳優(旧・川副町出身)
- 優木まおみ - タレント
スポーツ
- 大麒麟將能 - 大相撲力士
- 楠ノ海正治 - 大相撲力士
- 栃栄篤史 - 大相撲力士
- 新谷博 - プロ野球選手
- 岸川雄二 - プロ野球選手
- 渡辺正和 - プロ野球選手
- 梅野雄吾 - プロ野球選手
- 香田誉士史 - 高校野球部監督
- 井上茂徳 - 元競輪選手
- 小川浩一 - プロ野球選手
- 實松一成 - プロ野球選手
- 堤裕貴 - プロ野球選手(旧・久保田町出身)
- 水町亮介 - プロバスケットボール選手、秋田ノーザンハピネッツ所属
- 濱田真由 - テコンドー選手。ロンドンオリンピック・リオデジャネイロ五輪出場(旧・川副町出身)
- 徳永一斗 - ラグビー選手
その他
- 石井亮一 - 日本初の知的障害者養護施設「滝乃川学園」創設者
- 江崎利一 - 実業家、江崎グリコ創業者
- 黒田チカ - 日本初の女性化学者
- 坂井三郎 - 太平洋戦争で活躍した戦闘機パイロット
- 佐野常民 - 日本赤十字社の前身にあたる博愛社の創設者、佐賀の七賢人の1人
- 新郷重雄 - 世界的な品質コンサルタント
- 武富善吉 - 実業家。幕府時代に佐賀藩の財政を支え、明治期に政商となった。
- 武富礼衣 - 将棋の女流棋士
- 中地シゲヨ - 教育者、スーパーセンテナリアン
- 平山憲一 - フランス料理人、日光プリンスホテル料理長、百笑厨人
- 本野盛亨 - 読売新聞創業者、官僚
- 眞崎仁六 - 三菱鉛筆創業者
- 野中元右衛門 - 佐賀藩の政商、フランスで死亡した最初の日本人
佐賀市在住の有名人編集
その他編集
旧佐賀市の時代から全国の都道府県庁所在地では唯一、市歌を制定していない[22]。合併前の旧自治体では大和町・富士町[22]・川副町・東与賀町・久保田町の5町がそれぞれ町歌を制定していたが[23]、合併に伴い全て廃止された。佐賀市総合計画審議会では合併を機に市歌を新しく制定してはどうかとの意見が委員より出されているが[24]、制定に向けた具体的な動きは出ていない。合併前の旧佐賀市に関連する楽曲としては1989年(平成元年)の市制100周年を記念して歌詞を公募した市民愛唱歌「さがのうた」(作詞・溝上文雄、補作・河村健太郎、作曲・山本愛子、編曲・富永みさお)があったが[25]、正式な市歌としての制定に至らず新設合併後には引き継がれなかった。県庁所在地では佐賀市の他に富山市も新設合併に伴い1952年(昭和27年)制定の旧市歌が失効したまま後継の市歌が制定されない状態が続いているが「市の成立から一度も市歌を制定していない」と言う意味では佐賀市が唯一であることに変わりはない。
旧佐賀市と旧富士町は、1996年(平成8年)に「水の郷百選」に選定されている。
佐賀市の英語表記は"Saga city"だが、英語には賢明・聡明・知恵という意味の「sagacity」という単語がある。(ウィクショナリー英語版sagacity)
脚注編集
注釈編集
- ^ ただし2019年シーズンは例年より遅めの12月9日にオープンした。
出典編集
- ^ a b 市の木・市の花、佐賀市、2015年11月30日時点、2015年11月30日閲覧。
- ^ 佐賀平野の宿命(洪水と干ばつの歴史) 佐賀中部農地防災事務所[リンク切れ]
- ^ a b 「平年値(年・月ごとの値) 佐賀」気象庁、2013年1月10日閲覧
- ^ 「観測史上1~10位の値(年間を通じての値) 佐賀」気象庁、2013年1月10日閲覧
- ^ 佐賀市都市計画マスタープラン 3章 佐賀市を取り巻く環境の変化 2011年12月3日閲覧
- ^ 発表項目:水道局跡地への対応について(知事記者会見) 佐賀県、2005年4月28日。
- ^ 佐賀県の自治労の支持政党は現在でも社民党である。
- ^ “秀島氏、無投票4選 佐賀市長選 =2017佐賀市長選=|行政・社会|佐賀新聞ニュース|佐賀新聞LiVE” (日本語). 佐賀新聞LiVE. 2020年10月11日閲覧。
- ^ “佐賀市長選挙 無投票のお知らせ” (日本語). 佐賀市公式ホームページ. 2020年10月11日閲覧。
- ^ 佐賀市行政機構図
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- ^ 佐賀のまちかど恵比寿さん
- ^ 文化遺産オンライン(与賀神社)
- ^ 佐賀県の徐福伝説
- ^ a b 協定項目20 市町村の慣行の取扱い p5
- ^ 協定項目20 市町の慣行の取扱い p4-5
- ^ 第2回子育て・教育分科会 資料(2) p2
- ^ 佐賀市 編『佐賀市制100周年記念 さがの歳時記』(1990年) p146
関連文献編集
外部リンク編集
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