猪子 清(いのこ きよし)は、但馬豊岡藩家老

 
猪子清
時代 江戸時代後期(幕末) - 明治時代
生誕 天保4年(1833年
死没 明治27年(1894年4月8日
改名 謙三郎・左家太・一新・一清・清
主君 京極高厚
但馬国豊岡藩家老
氏族 猪子氏
父母 父:猪子正方
猪子止戈之助猪子吉人
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人物 編集

  • 豊岡藩主である京極高厚に仕えた家老である。安政年間に用人となり、後に藩校稽古堂の学長を兼任する。幕末の豊岡藩は佐幕派と尊王派が対立したが、清は藩論を尊王でまとめた。慶応4年(1868年)4月に家老・御側年寄役として豊岡藩政を主導し、明治2年(1869年)11月に豊岡藩大参事になる。藩の人材育成のため、藩費による留学制度を創設するなどした。
  • 明治27年(1894年)4月8日に死去。享年62。

家族 編集

清の長男は京都帝国大学医学部創設に貢献した猪子止戈之助、長女はふて(ふで)で、沖野忠雄の妻。次男が医学博士の猪子吉人である。

参考文献 編集

  • 人事興信録4巻