王 懿徳(おう いとく、Wang Yide1798年1861年)、字は紹甫朝の官僚。

河南省祥符(現在の開封市)出身。1823年進士となり、礼部主事、さらに郎中となった。その後、湖北襄陽知府山東兗沂曹済道、山東塩運使、浙江按察使、山東按察使を歴任した。1850年陝西布政使に昇進し、1851年に福建巡撫に抜擢された。巡撫として紙幣の発行を提議し、財政難を乗り切った。

1853年、福建小刀会黄威黄徳美が蜂起し、廈門同安を占領したが、鎮圧に成功した。その功により1854年閩浙総督に任命された。1857年に紅銭会の林万青の手引きで太平天国軍が江西省から福建省に侵入してくると、防衛にあたって撃退した。1858年楊輔清率いる太平天国軍が再び江西省から福建省に侵入したが、やはり撃退に成功した。1859年、病で引退。死後、靖毅の諡号が贈られた。

出典

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先代
裕泰(ユタイ)
福建巡撫
1851-1854
次代
呂佺孫
先代
慧成(フイチェン)
閩浙総督
1854-1859
次代
慶端(キンドゥワン)