田 応璜(でん おうこう)は中華民国の政治家。北京政府安徽派に属した。子琮

田応璜
Who's Who in China 3rd ed. (1925)
プロフィール
出生: 1866年同治5年)
死去: 1927年民国16年)
中華民国の旗 中華民国
出身地: 山西省大同府渾源州
職業: 政治家
各種表記
繁体字 田応璜
簡体字 田应璜
拼音 Tián Yìnghuáng
ラテン字 T'ien Ying-huang
和名表記: でん おうこう
発音転記: ティエン インフアン
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事績 編集

挙人で、知県をつとめる。1912年民国元年)、施鶴司令部参謀長、山西都督府高等顧問、署帰綏観察使に任じられた。その翌年に、参議院議員となる。1914年(民国3年)6月、約法会議議員、清史館編修に任じられた。

1916年(民国5年)、国会回復とともに、参議院議員に返り咲く。翌年9月、臨時参議院議員として憲法協議会を組織した。1918年(民国7年)3月、王揖唐安福倶楽部を組織すると、その幹部となる。8月に安福国会が成立すると、その副議長に選出された。

1922年(民国11年)、国会が再開されると、参議院議長に選出された。1926年(民国15年)6月、署理内務総長に任じられたが、翌月に早くも辞任した。1927年(民国16年)、安国軍総司令部政治討論会会員に任命される。

同年、死去。享年62。

参考文献 編集

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
   中華民国北京政府
先代
鄭謙
内務総長(署理)
1926年6月 - 7月
次代
張国淦