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田沼 意斉(たぬま おきなり)は、上総小久保藩の第2代(最後)の藩主。相良藩田沼家9代。

 
田沼意斉
時代 江戸時代末期 - 明治時代
生誕 安政2年(1855年)7月
死没 不明
改名 金弥(幼名)、意斉
幕府 江戸幕府
上総小久保藩
氏族 大岡氏田沼氏
父母 父:大岡忠恕、養父:田沼意尊
兄弟 大岡忠貫稲葉正善意斉
養女:智恵(夫: 田沼忠千代田沼望
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来歴編集

安政2年(1855年)7月、武蔵岩槻藩大岡忠恕の五男として生まれる。

明治2年(1869年)に小久保藩主田沼意尊の死去により、田沼家の養嗣子となる。明治3年(1870年)2月22日、養父意尊に死去により家督を相続し、小久保藩知事に就任した。学問を奨励し、藩校を拡大するなどの文治政策を採用している。明治4年(1871年)2月14日、藩政を大参事に任せ、遊学することを許可される。同年2月25日、東京に移る。同年7月14日、廃藩置県により藩知事を解任された。

明治6年(1873年)11月、家督を意尊の長女の智恵に譲って隠居し、同時に田沼家からも離れた。没年は不明である。