田端幸三郎
経歴
編集1886年、和歌山県にて田端幸七の二男として生まれる[1]。1911年、高等文官試験に合格し、翌1912年に東京帝国大学英法科を卒業。神奈川県県属や高知県理事官を経た後、台湾総督府警視兼警務官として台湾に赴任[1]。以後総督府事務官や理事官を務めた後、1927年に台北市尹(現在の台北市長)に就任[1]。市尹在任中に台北市電敷設計画を提出したが、市民の反対に遭い計画は頓挫した。1929年新竹州知事に転じ、1931年5月依願免本官[2][3]。1932年総督府専売局長として復帰し、1936年殖産局長に就任[4][5]。その後拓殖管理官・天然瓦斯研究所所長・営林署長・米穀局長を務めた後、1939年12月退官[1]。同年台湾電力副社長に就任し、1943年7月まで務めた[1]。また南方電気工業代表、台湾船渠・日本アルミニウム・福大公司の取締役も歴任した[1]。戦後帰国し、弁護士として活動[6]。1963年、東京にて死去[7]。
脚注
編集参考文献
編集- 劉寧顔著《重修台湾省通志》、台北市、台湾省文献委員会、1994年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 外地・満支・海外篇』第14版、1943年。