甲斐清和高等学校

山梨県甲府市にある私立高校
甲府湯田中学校から転送)

甲斐清和高等学校(かいせいかこうとうがっこう)とは、山梨県甲府市青沼三丁目にある私立高等学校である。

甲斐清和高等学校
地図北緯35度39分5.1秒 東経138度34分25.2秒 / 北緯35.651417度 東経138.573667度 / 35.651417; 138.573667座標: 北緯35度39分5.1秒 東経138度34分25.2秒 / 北緯35.651417度 東経138.573667度 / 35.651417; 138.573667
過去の名称 山梨裁縫女学校
山梨実科高等女学校
甲府湯田高等女学校
甲府湯田高等学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人伊藤学園
設立年月日 1900年
創立記念日 12月1日
創立者 伊藤うた
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程、通信制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
音楽科
学科内専門コース 普通科
総合コース(1年次)
進学コース
普通・商業・福祉コース(2年次から選択)
人間文化コース
学校コード D119310000021 ウィキデータを編集
高校コード 19502C
所在地 400-0867
山梨県甲府市青沼三丁目10番1号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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以前は中学校を併設していたが、現在は廃校となっている。

1925年(大正14年)より長らく校名は甲府湯田高等学校(こうふゆだこうとうがっこう)であったが甲斐清和高等学校(かいせいこうとうがっこう)に変更することが、2010年(平成22年)3月24日に同校を運営する学校法人伊藤学園より発表され[1]2011年4月1日(平成23年度)より新校名となった。

沿革

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創立者の伊藤うたは、夫と死別した後に上京し、東京裁縫女学校(現・東京家政大学)に学び、甲府市代官町の貸家にて裁縫塾を開いた。これが甲斐清和高校の始まりである。

  • 1900年 - 山梨裁縫女学校が開校。
  • 1918年 - 山梨実科高等女学校に改編。
  • 1925年 - 甲府湯田高等女学校になる。
  • 1927年 - 甲府女子商業学校を併設。財団法人伊藤学園を組織する(戦後学校法人に改組)。
  • 1945年 - 太平洋戦争末期、甲府空襲によって校舎を焼失。1947年まで県内数か所に分教場を置いて授業する。
  • 1947年 - 学制改革により、新制の甲府湯田中学校を設置。
  • 1948年 - 新制の甲府湯田高等学校を設置。
  • 1964年 - 中学校が休校となる(正式な廃止はされていない)。
  • 1994年 - 普通科内専門コースに音楽コースを開設。ピアノ、声楽、エレクトーン専攻を中心に開設。
  • 1996年 - 普通科内専門コースの音楽コースを、音楽科として独立して設置。
  • 2000年 - 音楽科に限り男女共学制に変更。
  • 2002年 - 男女共学の介護福祉科を開設。これにより普通科・情報メディア科は女子のみ、音楽科・介護福祉科が男女共学、となる。
  • 2010年 - 伊藤学園甲府湯田高等学校創立110周年記念式典を、創立記念日である12月1日、甲府市コラニー文化ホールにて開催。
  • 2011年 - 新校名甲斐清和高等学校(全科男女共学)となる。

[2][3]

交通

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  • 東海旅客鉄道(JR東海)南甲府駅より徒歩15分
  • 甲府駅バスターミナル3番乗り場より山梨交通バス63系統甲斐清和高校行に乗車、終点下車(登校日の朝1本のみ)
  • 甲府駅バスターミナル5番乗り場より山梨交通バス83系統奈良原行、富士急バス玉諸小学校行に乗車、若松町南バス停下車徒歩2分
  • 甲府駅バスターミナル3番乗り場より山梨交通バス01・02・16・26・27・64・70・75・76・78系統のいずれかに乗車、太田町見付バス停下車、徒歩5分
  • 甲府駅北口3番乗り場より16系統伊勢町営業所行に乗車、太田町見付バス停下車、徒歩5分
  • 甲府駅北口3番乗り場より10・12系統伊勢町営業所行に乗車、太田町南部バス停下車、徒歩3分
  • 南甲府駅より10系統武田神社行、12系統積翠寺行に乗車、太田町南部バス停下車、徒歩3分

関連項目

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脚注

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  1. ^ 山梨日日新聞』2010年3月25日付 朝刊第2版 24面、甲斐清和の読み仮名は(かいせい)である。
  2. ^ 甲府市市史編さん委員会 編『甲府市史 通史編 第3巻 近代』甲府市、1990年3月
  3. ^ 山梨県 編『山梨県史 通史編 5 近現代1』山梨日日新聞社、2005年3月

外部リンク

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