白山神社 (平泉町)

岩手県平泉町にある神社

白山神社(はくさんじんじゃ)は、岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関にある神社。日本各地に数ある白山神社の一つ。かつては中尊寺鎮守社であった。能舞台は国の重要文化財に指定されている。

白山神社


本殿

地図
所在地 岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関173番地
位置 北緯39度0分12.0秒 東経141度6分1.9秒 / 北緯39.003333度 東経141.100528度 / 39.003333; 141.100528 (白山神社 (平泉町))座標: 北緯39度0分12.0秒 東経141度6分1.9秒 / 北緯39.003333度 東経141.100528度 / 39.003333; 141.100528 (白山神社 (平泉町))
主祭神 伊弉諾(いざなぎ)尊
伊弉冉(いざなみ)尊
社格 村社
創建 (伝)850年嘉祥3年)
例祭 5月4日、5月5日
地図
白山神社の位置(岩手県内)
白山神社
白山神社
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歴史 編集

伝承によれば850年(嘉祥3年)に円仁(慈覚大師)が加賀国(現在の石川県)の一宮である白山比咩神社より勧請したことが始まりとされる。勧請と同時に白山権現と号せられ円仁自ら彫った十一面観音を本尊として、その後配仏として橋爪季衡(すえひら。藤原清衡の子)の持仏運慶作の正観音と源義経の持仏毘沙門天が寄進安置されていたが、1849年嘉永2年)の火災で焼失した。 能舞台は1853年嘉永6年)に仙台藩伊達慶邦によって再建された。近世の能舞台としては東日本唯一のものであり、2003年平成15年)に国の重要文化財に指定されている[1]。能舞は1591年天正19年)、時の関白豊臣秀次伊達政宗が社参の折に観覧に供し以来これを続行している。1876年明治9年)には、明治天皇が東巡の折に当社に臨幸し、古式(田楽、開口、祝詞、若女、老女)能舞(竹生島)を観覧した。

能舞台 編集

東西棟の「舞台及び楽屋」とその北に接する「橋掛」「鏡の間」の3つが1棟を成している。現存する建物は嘉永6年(1853年)の建立である。 舞台及び楽屋は東西に長い入母屋造茅葺で、桁行14.9メートル、梁間5.9メートル。西半分を舞台、東半分を楽屋とする。この北面につく橋掛は桁行9.8メートル、梁間5.0メートル、両下造、鉄板葺の建物で北東に延び、社殿側にある鏡の間に接続する。鏡の間は桁行8.9メートル、梁間3.9メートル。西面は入母屋造、東面は寄棟造の茅葺である[2][3]

脚注 編集

  1. ^ 国・県指定文化財”. 岩手県. 2018年10月6日閲覧。
  2. ^ 白山神社能舞台”. 文化遺産オンライン. 2018年10月6日閲覧。
  3. ^ 文化庁文化財部「新指定の文化財」『月刊文化財』478号(2003年7月)、pp.21 - 23

関連項目 編集