目賀田介庵

1813-1880, 幕末~明治期の南画家。名は守道、宇隆、字は隆、士蝶。号は介庵、文村、介翁、望岳楼。通称は小兵衛、帯次郎。

目賀田 介庵(めがた かいあん、文化10年(1813年) - 明治13年(1880年4月27日)は幕末から明治期南画家

名は守道・宇隆、を隆・士蝶。は介庵(芥庵とも)・文村・介翁・望岳楼。通称は小兵衛・帯次郎。江戸の生まれ。

略歴 編集

清水徳川家に仕え、下谷鳩組前に居住。谷文晁の最晩年の弟子となる。花鳥画山水画に優れる。

明治13年(1880年)に68歳で死没。墓は谷中霊園とされるが現在は確認できない。

子の目賀田文信(帯刀)も画家となり下谷六軒町に住んだ。

作品 編集

作品名 技法 形状・員数 寸法(縦x横cm) 所有者 年代 落款 備考
牡丹図
百花之図
秋山訪友図 資本墨画淡彩 1幅 125.9×30.7 東京芸術大学大学美術館 1880年(明治13年) 款記「六十八介翁」/印章「□□□□」朱文方印/遊印 白文長方印
蛍図
遊女図 絹本著色 1幅 128.3x36.2 プーシキン美術館[1]

脚注 編集

  1. ^ 国際日本文化研究センター海外日本美術調査プロジェクト編 『海外日本美術調査プロジェクト報告1 プーシキン美術館所蔵日本美術品図録』 国際日本文化研究センター、1993年1月25日、p.262。

参考文献 編集