砂野 仁(いさの まさし、1899年9月15日[1] - 1979年6月30日)は、日本の実業家川崎重工業社長、会長を務めた。

経歴・人物

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京都府与謝郡加悦町出身[1]1926年京都帝国大学経済学部を卒業し、1927年川崎造船所に入社した[1]。主に労務畑に携わり、1954年川崎航空機副社長に就任し、同社の再建に尽力し、1959年川崎重工業取締役に就任し、1961年12月に社長に就任した[1]1969年12月から1973年11月までに会長を務めた[1]

1969年6月から1976年11月までに神戸商工会議所会頭と日本商工会議所副会頭を務め、日本ルーマニア経済委員会会長、ソ連東欧貿易会会長、関西経済連合会常任理事なども歴任した[2]1975年4月に勲一等瑞宝章を受章した[2]

1979年6月30日下咽頭腫瘍のために死去[2]。79歳没。

脚注

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  1. ^ a b c d e 興信データ株式會社 1975, い194頁.
  2. ^ a b c 1979年 6月30日 読売新聞 夕刊 p11

参考文献

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  • 興信データ株式會社『人事興信録 第28版 上』興信データ、1975年。 


先代
手塚敏雄
川崎重工業社長
第6代:1961年 - 1969年
次代
四本潔