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祝允明書『嵆康酒会詩』

祝 允明(しゅく いんめい、天順4年12月6日1461年1月17日) - 嘉靖5年12月27日1527年1月28日))は、中国明代書家文人官吏[1]

は希哲、は枝山[1]・枝指生。長洲県中国語版(現蘇州市)出身。多指症のため生まれつき右手のが6本あった[2]1492年郷試に合格したが、進士の試験には落第し続けた[2]1514年広東省興寧県(現興寧市)の県令を経て、1521年首都南京応天府の通判に任ぜられたが、病気を理由に1年足らずで帰郷した[2]

詩文をよくし、唐寅文徴明徐禎卿とともに「呉中四才子」の一人に数えられる。

脚注編集