神保 長城(じんぼう ながくに?)は、戦国時代武将。父は神保長職神保長住の弟とされるが、系譜関係は不明。

 
神保 長城
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 不明
幕府 室町幕府
氏族 神保氏
父母 父:神保長職
兄弟 長住長城
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略歴 編集

神保長職の次子と考えられている。反上杉派の兄・長住が父・長職と対立して出奔し織田信長に仕えたとされ、そのため長城は長職から家督を譲られたとみられ、元亀2年(1571年)に出家して宗昌と名乗った父と共に、連署で八尾聞名寺に不入等を申し付けている。(長城の存在を示す確実な史料はこの一点のみである)。その後、間もなく父・長職は死去したと見られる。後を継いだ長城の動向は不明ながら、天正4年(1576年)に上杉謙信によって本拠増山城を攻め落とされている。長城はこの時討死したものか、その後の消息については不明である。

または、長国と同一人物で、昌国と改めて謙信、および、景勝兼続等に従った者であるか。

関連項目 編集