神威山 力雄(かむいやま りきお、1914年6月5日[1][2] - 1974年2月19日[3])は、北海道室蘭市出身[1][2]花籠部屋に所属した元大相撲力士。本名は熊谷 力雄[1][2]。最高位は十両4枚目[1][2]

経歴

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花籠部屋に入門し、1929年5月初土俵を踏む。1934年1月満19歳で十両に昇進[1][2]。この場所負け越し、幕下に落ちる。1935年1月、一場所で十両に復帰したが、この場所も負け越し再び幕下に落ちる。1936年1月、三度目の十両昇進で勝ち越し、この場所から5場所連続十両の地位にあった。1938年5月幕下に落ち十両復帰を目指し、「神惠山」(かむえやま)に改名(1941年5月)[4]したが、十両に復帰することなく1942年5月に廃業した[1][2]。1974年死去。

改名

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神威山→神惠山[1][2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、171頁。
  2. ^ a b c d e f g 『昭和の大相撲 資料編』 311頁。
  3. ^ 相撲人名鑑(神威山力雄)(アーカイブ)
  4. ^ 相撲レファレンス 神惠山力士情報

参考文献

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  • 小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
  • 昭和の大相撲刊行委員会/編『昭和の大相撲 資料編』TBSブリタニカ、1989年

関連項目

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