神武会(じんむかい)は戦前の右翼団体。「急進改革を理想としたファッショであった」 [1]

概要 編集

1932年(昭和7年)2月11日発会。行地社大川周明松延繁次狩野敏、等と国本社の一派からなる。1932年2月の衆議院総選挙を期して

  1. 国内改革
  2. 閥族打倒
  3. 既成政党排撃
  4. 神武建国精神の再現
  5. 昭和維新

を掲げ、主要新聞に「国難に処して国民は何人に投票するか」と題した檄文の広告を出した。

本部は当時の東京麹町区内山下町1丁目1番地の東洋ビルに置かれた。1932年当時、全国に36の支部を、4500人の会員を擁した。


軍部を中心とする急進的社会改革を理想とし、綱領には

  1. 皇国的教育組織の実現。
  2. 天皇親政
  3. 一君万民

などを掲げた。

1932年(昭和7年)6月14日には東京上野公園自治会館で大日本生産党勤皇維新同盟日本国家社会党と「共同国民大会」を開催した。

機関誌 編集

行地社の機関誌「日本」を「月刊日本」に改題し、1932年(昭和7年)5月1日に創刊号を出した。

参考文献 編集

関連項目 編集

脚注 編集

  1. ^ 内務省警保局『愛國団体系統一覧表』。