1780年(安永9年)に設置され、1874年(明治7年)まで約100年使われた。1870年(明治3年)ごろからは、社倉と別に籾の貸付を主とする義倉として利用されていた。その制度は、昭和になるまで続いていたと言われる。[1]
文書類も多数残っており、市立竹原書院図書館に保存されている。[1]
内部は間口4間半、奥行2間の平屋造りでふた間に仕切られている。[1]
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