松室 仲子(まつむろ なかこ、1707年(宝永4年9月28日) - 1751年(寛延4年))は、霊元天皇の後宮。父は松室重仲。猶父は愛宕通晴。少納言局と称する。法号は聚光院。秦仲子とも呼ばれる。
松室重仲の娘として生まれる。その後、権中納言の愛宕通晴の猶子となる[1]。
霊元天皇に仕え、1715年(正徳5年)に尊胤法親王を生む。少納言局と称した。霊元天皇の死後は出家して聚光院と号した[2]。
1751年(寛延4年)、死去[2]。
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