竟陵郡(きょうりょう-ぐん)は、中国にかつて存在した晋代から唐代にかけて、現在の湖北省中部に設置された。

概要

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299年元康9年)、西晋により江夏郡西部が分割されて竟陵郡が立てられた。竟陵郡は荊州に属し、郡治は石城県に置かれた。

454年南朝宋孝建元年)、竟陵郡は郢州に転属した。南朝宋の竟陵郡は萇寿竟陵霄城新市新陽雲杜の6県を管轄した[1]

南朝斉のとき、竟陵郡は萇寿・竟陵・霄城・新市・新陽・雲杜の6県を管轄した[2]

583年開皇3年)、が郡制を廃すると、竟陵郡は廃止されて、郢州に編入された。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、郢州が竟陵郡と改称された。竟陵郡は長寿藍水滶川漢東清騰楽郷豊郷章山の8県を管轄した[3]

622年武徳5年)、唐により隋の沔陽郡復州と改められた。742年天宝元年)、復州は竟陵郡と改称された。758年乾元元年)、竟陵郡は復州と改称された[4]

僑置竟陵郡

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561年天嘉2年)、南朝陳により武昌・国川の2県を管轄する竟陵郡が立てられた[5]

脚注

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  1. ^ 宋書』州郡志三
  2. ^ 南斉書』州郡志下
  3. ^ 隋書』地理志下
  4. ^ 旧唐書』地理志二
  5. ^ 陳書』世祖紀