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画像提供依頼:本館と別館の外観の画像提供をお願いします。2015年11月

竹村家(たけむらや)は、広島県尾道市にある料亭旅館

1902年(明治35年)尾道市久保で洋食屋として創業。1920年(大正9年)その地で料理旅館としてリニューアルオープンした「本館」と、1962年(昭和37年)尾道市美ノ郷町でオープンした「別館」からなる。創業から一貫して経営は武田家。料理は懐石[1]。食事のみの利用もできる(4人から 要予約)[2]

本館編集

竹村家 本館
ホテル概要
運営 竹村家
部屋数 5室
開業 1902年(明治35年)
改装 1920年(大正9年)
所在地 〒722-0045
広島県尾道市久保三丁目14-1
位置 北緯34度24分35.75秒 東経133度12分26.74秒 / 北緯34.4099306度 東経133.2074278度 / 34.4099306; 133.2074278座標: 北緯34度24分35.75秒 東経133度12分26.74秒 / 北緯34.4099306度 東経133.2074278度 / 34.4099306; 133.2074278
公式サイト 公式サイト
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南は尾道水道に面し、客室の窓のすぐ外が海になっている[1]。このような構造は尾道では2軒だけ[1]。客室の他に、2階に約100人収容できる大広間がある[2]

主屋、家門および塀が国の登録有形文化財小津安二郎東京物語』ゆかりの旅館であり、その時の記念品が飾られており、宿泊客の2/3が映画ファンであるという[1]

施設編集

概略
  • 開業 : 1902年(明治35年)
  • 建物 : 木造2階建、数寄屋造[2]
  • 客室 : 和室5室、宿泊は10人まで。会食・宴会は100人まで[2]
文化財
  • 主屋 - 1920年(大正9年)竣工。建築面積481m2。桟瓦葺。東西南北を軸にT字型で棟を形成している。竹材を多用した書院造[3]
  • 門 - 北側道路に面し、やや西よりに設けられた門。切妻造、銅板葺[4]
  • 塀 - 北側道路に面する塀。真壁造、桟瓦葺で、黒漆喰に横長の小窓が付く[4]
  • 灯籠 - 裏庭にある。浮き彫りの太閤柄と太閤菊が特徴のもの。元々は聚楽第にあったと伝えられる[5]

交通編集

別館編集

竹村家 別館
ホテル概要
部屋数 9室
開業 1962年(昭和37年)
所在地 〒722-0215
広島県尾道市美ノ郷町三成1650
位置 北緯34度26分59.98秒 東経133度11分55.03秒 / 北緯34.4499944度 東経133.1986194度 / 34.4499944; 133.1986194
公式サイト 公式サイト
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尾道市中心部から北にあり”尾道の奥座敷”といわれる養老温泉郷でオープンした。こちらのみ温泉。本館と同様に数寄屋造だが設備は近代化している。

施設編集

  • 開業 : 1962年(昭和37年)
  • 建物 : 鉄筋・木造2階建[2]
  • 客室 : 和室9室、35人まで[2]

交通編集

  • おのみちバスあるいは鞆鉄バス美ノ郷温泉口バス停下車、徒歩約5分
  • おのみちバスあるいは中国バス温泉口バス停下車、徒歩約5分
  • JR尾道駅下車、車で約15分
  • JR新尾道駅下車、車で約5分
  • 山陽自動車道尾道ICから車で約5分
  • しまなみ海道西瀬戸尾道ICから車で約15分

沿革編集

洋食屋編集

尾道は瀬戸内海随一の海運および商業の町として栄え、一時は広島県経済の中心地であった[6]。尾道の中心街に近い久保町”渡瀬橋”東詰に1902年(明治35年)西洋料理屋「竹村家」として開店した[7]。「アサヒビアホール」の看板を掲げていたがビアホールの形態ではなく、洋食屋であった[7]。尾道初の洋食屋[8]

志賀直哉暗夜行路』の草稿にこの店のことが書かれている[7][9]。主人公は思うところがあって”田舎にしては立派な床屋”で丸坊主にし、そのあとぶらぶらしていると正午を過ぎ腹が減ったため宛もなく東へと店を探していく[9]。そこで見つけたのがこの店だった。

海岸の方に出て見た。海に面した所に大きな、料理屋があつて、此所では盛んに三味線太鼓の音がしてゐた。小さい橋を渡ると、矢張り海へ面した川口にアサヒビールの看板を出した西洋料理屋があった。そこで晝食をした。細々した事を書くとキリがないが、ライスカレーをいふと、それに生玉子を一つつけて來たりした。
暗夜行路草稿4(校正後) , 原稿19-20[7][9]

なお暗夜行路草稿4は志賀の日記と同等のものであるという説があり、つまり志賀がここでカレーを食べた可能性がある[9]

またアイスクリームも売られていた[7]。当時はアイスクリームの工業生産化前で一般には普及しておらず[10]、更には冷凍庫もまだ誕生していない時代で[11]、アイスは大変貴重なものだった[7]。現在、竹村家で出されるデザートのアイスは当時と同じ製法のもので出されている[7]

ただ、この洋食屋は火事により全焼した[5]

料理旅館編集

1920年(大正9年)、火事を機に料理旅館として全面的に建て替えられた[5]。これが現在の竹村家本館である[5]

歴代の女将の一人に(二代目女将)林芙美子と尾道高等女学校(広島県立尾道東高等学校)の同級生がおり[5]、林が尾道に立ち寄った際にここで歓迎会が行われその時の写真が残っている。

ここが一躍有名となったのは、小津安二郎の代表作『東京物語』でのことである[12]。この映画は尾道でも撮影されたがロケが決まった理由の一つとして、当時の竹村家主人と脚本家の柳井隆雄がいとこだったため協力しやすかったというもの[13]。小津ら主要スタッフ、笠智衆原節子香川京子ら主要キャストがここに宿泊している[12][13]。俳優陣の尾道弁の指導には竹村家の主人と女将も参加し、東山千栄子の尾道弁は竹村家の女将そっくりになったという[13]。竹村家の建物も撮影に使われ、東山が演じた平山とみの葬儀後の食事のシーンでの料理屋がここである[12]。また別の場面で、周吉(笠)・修(十朱久雄)・三平(東野英治郎)の3人による飲み屋での会話の中で三平(東野)が「ああ竹村家でか?」と言ったあと大笑いするシーンがあるが、これは小津が竹村家への感謝として加えたものと言われている[14]。東京物語のオマージュである山田洋次東京家族』では、ここでロケは行われなかったがその台詞はそのまま残っている[15]

また新藤兼人もここをよく使い、例えば若年期の自伝的な作品である『石内尋常高等小学校 花は散れども』では1/3のシーンがここで撮影されている[15][1]

現状編集

1962年(昭和37年)養老温泉郷に新たに竹村家別館をオープンする。

2004年、本館の主屋、門、塀が国の登録有形文化財に登録された。

脚注編集

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  1. ^ a b c d e 映画ゆかりの文化財の宿”. 観光経済新聞. 2015年11月20日閲覧。
  2. ^ a b c d e f ご宿泊案内”. 竹村家. 2015年11月20日閲覧。
  3. ^ 竹村家主屋 たけむらけしゅおく”. 文化庁. 2015年11月20日閲覧。
  4. ^ a b 竹村家門及び塀 たけむらけもんおよびへい”. 文化庁. 2015年11月20日閲覧。
  5. ^ a b c d e 竹村家の大正”. 竹村家. 2015年11月20日閲覧。
  6. ^ マニア泣かせ?またまた新観光スポット誕生!尾道歴史博物館 OPEN!”. 尾道観光協会. 2015年11月20日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g 竹村家の明治”. 竹村家. 2015年11月20日閲覧。
  8. ^ 広島老舗物語”. あっぱれ!熟年ファイターズ (2013年1月5日). 2015年11月20日閲覧。
  9. ^ a b c d 寺杣雅人、大出奈奈、貝原和紗、佐々木名穂、立町智恵、宮本奈菜、渡邉春来「「暗夜行路草稿4」の影印と翻字」『尾道文学談話会会報 No.2』、尾道市立大学、2012年7月27日、2015年11月20日閲覧。
  10. ^ アイスクリームの歴史”. 中央酪農会議. 2015年11月20日閲覧。
  11. ^ 家電の昭和史”. 家庭電気文化会. 2015年11月20日閲覧。
  12. ^ a b c 竹村家の昭和”. 竹村家. 2015年11月20日閲覧。
  13. ^ a b c 小津が見た日本の原風景 <上>東京物語”. 読売新聞 (2014年9月24日). 2015年11月20日閲覧。
  14. ^ 氷川きよしスペシャル 尾道編”. 旅の香り (2006年6月25日). 2015年11月20日閲覧。
  15. ^ a b 竹村家の平成”. 竹村家. 2015年11月20日閲覧。

関連項目編集

外部リンク編集