第68師団 (日本軍)
第68師団(だいろくじゅうはちしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。
第68師団 | |
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創設 | 1942年(昭和17年)2月2日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
所在地 | 九江-衡陽-常寧 |
編成地 | 江西省 九江 |
通称号/略称 | 檜(ひのき) |
補充担任 | 大阪師管・大阪師管区 |
最終上級単位 | 第20軍 |
最終位置 | 華中 常寧 |
戦歴 |
太平洋戦争 (大陸打通作戦) |
沿革
編集太平洋戦争開戦後に中国に在った独立混成旅団を改編し、占領地の警備と治安維持を目的に編成した治安師団の一つ。1942年(昭和17年)2月に華中で独立混成第14旅団を基幹に編成された。
同年4月の編成完了後、司令部を九江に置き、前身であった独立混成第14旅団の任務を引き継ぎ九江付近の警備や治安維持に従事した。
師団の編制は、4つの独立歩兵大隊から成る歩兵旅団(甲師団の歩兵旅団は2個連隊構成)を2つ持ち、砲兵力を欠いた丙師団である。
1942年12月、大別山系の作戦、1943年(昭和18年)4月の江南殲滅作戦に参加。同年11月から1944年(昭和19年)1月にかけて常徳殲滅作戦に参加し、漢寿を占領するなと戦果を挙げた。同年5月から大陸打通作戦の一部である湘桂作戦に第11軍の直轄部隊として参加。衡陽攻略作戦に加わり、作戦終了後は衡陽の警備に従事した。その後、第20軍に属し華南の中国軍と交戦した。
1945年(昭和20年)4月、華中方面防備のため常寧に移動し防備を固めていたが、その地で終戦を迎えた。
師団概要
編集歴代師団長
編集- 中山惇 中将:1942年(昭和17年)4月1日 - 1943年3月25日[1]
- 佐久間為人 中将:1943年(昭和18年)3月25日 - 1944年7月1日[2]
- 堤三樹男 中将:1944年(昭和19年)7月1日 - 終戦[3]
参謀長
編集- 山本募 大佐:1942年(昭和17年)4月15日 - 1943年3月15日[4]
- 原田貞三郎 中佐:1943年(昭和18年)3月15日 - 1944年7月1日[5]
- 小合茂 中佐:1944年(昭和19年)7月1日 - 終戦[6]
最終司令部構成
編集- 参謀長:小合茂大佐
- 参謀:大場軍勝中佐
- 高級副官:山田誉六少佐