筋違橋(すじかいばし)は、国道十七号線中山道)に架橋されている万世橋の前身。江戸時代に枡形櫓による筋違見附が、神田川の右岸側に置かれる橋であった。

筋違橋門(すじかいばしもん)は、筋違見附に設けられた門。

概要編集

筋違橋が架けられたのは、寛永20年間(1624 - 44)であったといわれている。筋違橋御門が撤去されたのが、明治五年(1872年)で、翌六年に御門の石材を利用して、石造アーチ形の万世橋が架けられた。現在の万世橋は昭和五年(1930)に架設されたもので、長さ26メートル、幅員が長さよりも広い30メートルもあり、堂々たる親柱が印象的な橋である。

歴史編集

江戸中期、1676年(延宝4年)に架橋。当橋は、徳川将軍が寛永寺に詣でる時に渡る橋で、現在の昌平橋と万世橋との中間にあった。すぐ南に筋違見附があり、橋はその見附の付属物であった。中山道日光街道が交わり市内につながっていた。1872 年に筋違門が取り壊され、その石材を使用して現在の万世橋が建設された。 六代将軍、徳川家宣に仕えた新井白石が鬼門を研究し「鬼門考」を著しており、徳川家康が江戸城構築にあたり城から鬼門方位の橋を案じる家臣に対し「名前だけを違えよ」と命じ、位置は変えず、「筋違橋門」と名をつけたと述べている[1]

筋違橋門編集

当門は、加賀藩主前田利常によって、枡形は寛永13年に完成、門は寛永16年に完成した。「すじかい」という名前がついた由来は、中山道と上野寛永寺へ向かう御成道が、交差することから付けられたとされる。

現在では、中央線の高架のレンガの壁沿いに、「御成道」の説明板がたっていて、わずかに、筋違橋門があったことがわかるだけ。元の鉄道博物館の建物の南側を中央線の高架沿いに神田郵便局に向かって歩いていくとレンガ壁の脇に説明板がひっそりとたっている。

画像編集

脚注編集

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  1. ^ 小池康寿 2015, p. 38.

参考文献編集

  • 小池康寿『日本人なら知っておきたい正しい家相の本』プレジデント社、2015年11月。ISBN 978-4-8334-2149-2
  • 酒井茂之『江戸・東京 橋ものがたり』明治書院、2011年4月。ISBN 978-4-625-68464-7
  • 『水の都市 江戸・東京』陣内秀信、法政大学陣内研究室、講談社、2013年8月。ISBN 978-4-06-218469-4

関連項目編集

外部リンク編集