籠谷 政高(こもりや まさたか)は、安土桃山時代武将下野宇都宮氏の家臣。下野国籠谷城主。

 
籠谷政高
時代 安土桃山時代
生誕 不明
死没 不明
官位 伊勢守
主君 宇都宮国綱
氏族 籠谷氏
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略歴

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天正年間に籠谷城を築城し城主となった。

天正18年(1590年)、小田原征伐に参加。忍城の戦い石田三成の配下で豊臣軍として参戦し武功を挙げ1160石加増される。同年、籠谷村[1]の草庵に伽藍[2]を建立。その際に浄土真宗から天台宗に改宗させた。現在も栃木県真岡市下籠谷に常在山無量寿寺として残っている。

天正20年(1592年)、宇都宮国綱芳賀高武らと共に朝鮮出兵に同行した。宇喜多秀家の配下として、宇都宮氏と共に慶長の役順天城の戦いに参戦して武功をあげる。

脚注

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  1. ^ 現・真岡市下籠谷。
  2. ^ 現・無量寿寺