米坂線雪崩直撃事故(よねさかせんなだれちょくげきじこ)は、1940年昭和15年)3月5日に、山形県内の米坂線で発生した鉄道事故である。

概要 編集

1940年3月5日8時45分ごろ、米坂線玉川口駅小国駅 - 越後金丸駅間、1995年廃止)の小国駅側にある荒川橋梁が雪崩の直撃を受けて崩壊した[1]。その直後、米沢坂町行きの下り103混合列車8620形蒸気機関車48639号機牽引、客車3両、貨車2両)が橋梁にさしかかり、最後尾の客車1両を残して崩壊した橋梁から下を流れる荒川に転落した[2]

雪崩が発生したタイミングは諸説あり、後部2 - 3両目付近がトンネルから出たタイミングで雪崩が襲ったため、最後部の車両が反動によってトンネル内で逆立ち状態になり、連結器が破断して転落せずに済んだとする見解もあった[3]

事故の一報を受けた玉川口駅長や同駅の除雪人夫が現地に駆けつけて救助活動を始めたが、その直後、貨車の硫黄合剤と思われる積荷が3度にわたり爆発し、貨車の上に折り重なっていた客車に延焼して被害を拡大させた。収容された遺体は男女の性別すら判別できない者もあった[4]

客車には130人が乗っていたが、この事故で乗客および職員(鉄道郵便職員も含む)18名が死亡、29名(慰霊碑の記録)が負傷した。雪崩対策が不十分であった可能性が指摘されている[5]。 

脚注 編集

  1. ^ 米坂線雪崩直撃事故(1940年3月5日)”. 災害カレンダー. 2021年3月7日閲覧。
  2. ^ 丸山久一 1977, pp. 150–156.
  3. ^ 事故は不可抗力『山形新聞』(昭和15年3月8日夕刊)『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p758 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  4. ^ 救援現場に雪崩続く『東京日日新聞』(昭和15年3月7日夕刊)『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p758 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  5. ^ 佐々木 & 網谷 1993, pp. 209–227.

参考文献 編集

  • 丸山久一「写真で見る雪崩による鉄道事故について」『雪氷』第39巻第3号、日本雪氷学会、1977年、150 - 156頁、doi:10.5331/seppyo.39.150NAID 130000906947 
  • 佐々木冨泰、網谷りょういち『事故の鉄道史―疑問への挑戦』日本経済評論社、1993年。ISBN 978-4-8188-0662-7 
  • 佐々木冨泰、網谷りょういち『続・事故の鉄道史』日本経済評論社、1995年。ISBN 978-4-8188-0819-5