粟屋助太夫

安土桃山時代から江戸時代前期の武将

粟屋 助太夫(あわや すけだゆう、生年不詳 - 寛永12年(1635年))は、安土桃山時代から江戸時代前期の武将。豊臣家の家臣。諱は不明。

略歴

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粟屋勝家の息子。祖父は若狭武田氏の家臣でのちに織田信長豊臣秀吉に仕えた粟屋勝久[1]

助太夫は豊臣秀頼に仕え、大坂の陣では豊臣軍の一員として戦う。

落城後は落ち延びて、のちに藤堂高虎に仕える。寛永12年(1635年)に死去。[2]

参考資料

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「藤堂高虎家臣辞典」

脚注

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  1. ^ 武田四老の一人。若狭国国吉城主。
  2. ^ 同じく勝久の孫・粟屋勝長臼杵藩に仕え、後に子孫は明治維新に至り廃藩されるまで、家老職を勤めた。