メインメニューを開く

粟津貝塚(あわづかいづか)とは、琵琶湖南端部の瀬田川付近に見られる湖底の遺跡(貝塚)である。粟津湖底遺跡(あわづこていいせき)などとも呼ばれることがある。

目次

解説編集

滋賀県大津市内に粟津貝塚はある。その緯度と経度は、北緯34度58分53秒、東経135度54分28秒である[1]。貝塚と言えば、主に海から採ってきた貝の殻を捨てた古代のゴミ捨て場である。しかし粟津貝塚は、主に琵琶湖(淡水湖)から採ってきた貝の殻を捨てた古代のゴミ捨て場である。したがって粟津貝塚から出土する貝は淡水性の貝の殻である。例えばシジミの貝殻などが出土している[2]。なお、貝のうちの77%はセタシジミの貝殻であったとの調査結果もある[3]。ただし哺乳類の骨(イノシシ、シカなど)、爬虫類の骨(スッポンなど)、魚類の骨(ギギ、コイ、ナマズ、フナ、ワタカなど)などのように貝殻以外の物も出土した[4]。さらにトチの実やドングリイチイシイの実)の皮やヒシなど植物性の物も出土した[5]。また土器のような人工物も出土した[6]。なおここがゴミ捨て場として使用されていたのは縄文時代の中期頃と見られている。この粟津貝塚は1952年に藤岡謙二郎によって発見されたとされている[7]。1952年当時には湖底に白い貝が沈んでいる様子が船の上からでも確認することができたという[8]

形成された年代編集

宇宙線などによって天然に生成する炭素の放射性同位体である炭素14による放射年代測定の結果、粟津貝塚は4000年前から5000年前くらいに形成されたと考えられている[9]。ただし9000年以上前のヒョウタンの種子や、ヒシやクリやコナラの果皮の破片も発見された[10]

湖水面の変化編集

現在粟津貝塚には粟津湖底遺跡の別称があることから明らかなように琵琶湖の湖底に存在している。しかし元々湖底に形成されたというわけではない。この貝塚が形成された縄文時代中期頃の琵琶湖の水位は現在よりも低かったため現在は湖底に立地しているのであって、当時は琵琶湖湖岸に立地していた[11]。なおここが当時は琵琶湖の東岸であったとの調査結果もある[12]。このように琵琶湖の水位の変化に伴って湖面下沈んだために微生物によって分解されやすい植物性のゴミも現代まで完全には分解されることなく残っていた[13][14]。このためこの貝塚が形成された時代の食生活を知る考古学的資料となり得た。

出典編集