粟田飽田麻呂
粟田 飽田麻呂(あわた の あきたまろ)は、平安時代初期の貴族。官位は従五位上・肥後介。
時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位上・肥後介 |
主君 | 桓武天皇→平城天皇→嵯峨天皇→淳和天皇→仁明天皇 |
氏族 | 粟田氏 |
経歴
編集宝亀8年(777年)または延暦23年(804年)に留学生として遣唐使に随行して唐に渡る。延暦24年(805年)帰国して、無位から正六位上に直叙される。
嵯峨朝の弘仁3年(812年)従五位下・諸陵頭に叙任される。その後、弘仁6年(815年)豊後介を兼ね、弘仁14年(823年)には従五位上に叙せられている。
仁明朝の承和元年(834年)には肥後守に官職にあったが、大宰府に滞在していた唐人の張継明を、勅命を受けて平安京に引率して入京させている。
官歴
編集『六国史』による。