純鈞(じゅんきん)は、中国春秋時代の名剣伝説にある剣の名で、允常欧冶子に作らせた五振りの剣の一つ。「淳鈞」「淳均」とも書かれる。

純鈞のことは、『呉越春秋』や、『越絶書』等に記されている。この剣を造る時、赤菫の山が裂けて錫が現れ、若耶の渓が涸れて銅が現れ、雨師が水を撒き、雷光が太鼓を叩き、蛟龍が炉を捧げ、天帝が炭をくべ、太一が降ってきてこれを見たといい、欧冶子は天地の精により、技巧の限りを尽くしてこの剣を鍛えたと言われている。欧冶子はこの剣を作る最中に死んでしまった。剣相を見る名人である薛燭は、この剣は城を傾けて金を量り、珠玉で河を竭しても二度と得られない、と言った。そこで、純鈞には市をもつ郷二つ、駿馬千疋、千戸の都二つ、という値段がつけられた、と『越絶書』に記されている。

参考文献 編集

  • 陳舜臣『中国の歴史 2 大統一時代 漢王朝の光と影』平凡社、1986年4月。ISBN 978-4-582-48722-0 

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