結城明朝
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天文17年(1548年)3月24日 |
別名 | 七郎、三九郎 |
戒名 | 花天幻達禅定門 |
墓所 | 慈眼院 |
官位 | 左衛門尉 |
氏族 | 結城氏 |
父母 | 父:結城政勝、母:昌林慶久(水谷勝吉の娘) |
兄弟 | 明朝、小藤姫(水谷政村夫人) |
妻 | 高琳長崇 |
略歴
編集結城政勝の子として誕生[1][2]。母は昌林慶久(水谷勝吉の娘)[2]。
妻は高琳長崇[3]。
天文17年(1548年)3月24日に死去した[1]。死因は疱瘡だったと伝わる[1]。法名は花天幻達禅定門[1]。遺体は乗国寺末寺の慈眼院に埋葬された[1]。
結城氏の家督は、明朝の従弟・晴朝が政勝の養子となって継いだ。
同年7月24日、結城家の家臣・多賀谷政広が、「花天幻達禅定門霊供分」として、大桑郷(結城市小森付近)内で畠二反一貫文の地を乗国寺に寄進している[1][4]。
脚注
編集- ^ a b c d e f g 結城市史 第四巻 1980, p. 564.
- ^ a b 結城市史 第四巻 1980, p. 378.
- ^ a b c 結城市史 第四巻 1980, p. 372.
- ^ 結城市史 第四巻 1980, p. 494.
参考文献
編集外部リンク
編集- 結城百選|結城地区|38 昔を語る結城家御廟 - 結城市