織田末広
南北朝時代から室町時代の武将。太郎兵衞尉。織田氏当主。子に広定(廣定、早世)
織田 末廣(おだ すえひろ)は、南北朝時代から室町時代にかけての武将。官位は太郎兵衞尉、別名は三郎である。父は行廣、子に廣定、基實[1]。織田教広も末広の子と伝わる。
脚注 編集
- ^ 寛政重脩諸家譜. 第3輯 (1923), p.552
参考文献 編集
- 『寛政重脩諸家譜. 第3輯』国民図書、1923年 。
織田 末廣(おだ すえひろ)は、南北朝時代から室町時代にかけての武将。官位は太郎兵衞尉、別名は三郎である。父は行廣、子に廣定、基實[1]。織田教広も末広の子と伝わる。
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