織田良雄

織田信雄の七男

織田 良雄(おだ よしかつ、よしを[1])は、江戸時代前期の武士官位正五位上侍従、主膳正。

 
織田良雄
時代 江戸時代前期
生誕 不明
死没 慶安4年2月24日1651年4月14日
改名 久蔵主→長晴→良雄
官位 正五位上侍従、主膳正
氏族 織田氏(信雄流)
父母 父:織田信雄、母:津田氏娘
兄弟 秀雄小姫重雄、於加爾、高雄
佐々一義室、信良高長信為良雄長雄、玉雄院、生駒政勝室、生駒直勝
祖天
テンプレートを表示

生涯

編集

織田信雄の七男として誕生した。生母は津田氏。始めは祥雲寺の僧侶であり、久蔵主と称した。後に還俗した。初名は長晴。

元和2年(1616年)10月25日、正五位上・侍従に叙任される。同日に四兄・信良従五位上・侍従に叙任される[2]

慶安4年(1651年)2月24日、死去。

系譜

編集
  • 父:織田信雄
  • 母:津田氏娘
  • 妻:不詳
    • 男子:祖天 - 久昌寺の僧

脚注

編集
  1. ^ 『寛政重脩諸家譜 第3輯』 國民圖書(1923年)、559p
  2. ^ 小池進「元和期の江戸幕府「年寄り」制について」2002年(吉川弘文館、大野瑞雄編『史料が語る日本の近世』)