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老論派(ろうろんは、ノロンパ)は、李氏朝鮮の党派の一つ。粛宗の外戚に対して批判的な少論派(しょうろんは、ソロンパ)と対立する派閥に使われる。明に対する極端な事大主義が特徴、明滅亡後も明への事大を続けた[1]。この派閥にも僻派(貞純王后)と時派(金鐘秀)と2つの勢力がある。

老論派
各種表記
ハングル 노론파
漢字 老論派
発音 ノロンパ
日本語読み: ろうろんは
文化観光部2000年式
マッキューン=ライシャワー式
Noronpa
Noronp'a

元は西人で、1680年の庚申換局の時に少論と老論に分裂した。主に宋時烈の支持者で構成されたが、1684年に金錫冑朝鮮語版が死去、1689年に宋時烈が処刑されたことで勢力が減退した。老論派を支持した仁顕王后は1701年に死去したが、1724年に英祖が即位すると政権に返り咲いた。。鮮第14代国王の宣祖が「明に最後まで忠誠を尽くす」として万折必東を書き、長期執権した朝鮮時代の党派「老論派」は明の滅亡後も同義でこの言葉を使い続けた。忠清北道華陽渓谷には老論派が明の皇帝に仕えしようとして作った「万東廟」という祠堂がある。その横の登山路の崖には宣祖の直筆で「万折必東」の4文字が刻まれている[1]

脚注編集

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  1. ^ a b 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版. “【コラム】「破虜湖」改名を推進する韓国政府の無知と事大主義” (日本語). www.chosunonline.com. 2019年6月1日閲覧。

関連項目編集