胡 空(こ くう、生没年不詳)は、五胡十六国時代前秦の人物。末期の前秦に忠誠を尽くした。

生涯

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前秦に仕え、屯騎校尉に任じられていた。

385年、前秦の首都長安が陥落すると、胡空は5千の衆を集め、独自の堡を築いて自衛し、後秦から官爵を授かって安全を保っていた。

後秦の皇帝姚萇は、前秦の天王苻堅殺害後に胡空と徐嵩が築いた堡の間で、王の葬礼をもって苻堅を弔った。

386年12月、前秦の皇帝苻登に徐嵩と共に降伏した。苻登は胡空を輔国将軍・京兆尹に任じた。苻登は改めて苻堅を天子の葬礼で弔った。

これ以降、胡空の事跡は史書に記されていない。

その他

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胡空が築いた胡空堡(現在の陝西省咸陽市彬州市)は、苻登在世時の前秦の首都として重要な役割を果たした。

参考文献

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関連事項

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