胸形 義利(むなかた よしとし)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武士津軽氏の家臣。

 
胸形義利
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 不明
死没 慶長9年(1604年
別名 玄蕃
主君 津軽為信
陸奥弘前藩
氏族 棟方氏
父母 胸形義貞
義助貞家
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出自 編集

棟方氏因幡国松賀城主であったという。始祖は胸形兵庫頭義直という。その8代後裔の出雲守義貞が応仁の頃、筑前国宗像に移住した。その後は隼人介義標、左衛門太郎義貞、玄蕃義利と続いた。義利の代に津軽へ移住した。

略歴 編集

当初は筑前宗像に居住していた。天正19年(1591年)、陸奥国外ヶ浜に移住した。野内に居住し、同地で没した。同地に墓所もある。

義利には太郎義助(角之丞)、作右衛門貞家の二子がいた。貞家より十左衛門清久、作右衛門貞良、作兵衛貞隆、作右衛門貞豊、十左衛門貞恒、晴吉貞敬と弘前藩津軽氏の重臣として続き、家老などを務めた。

参考文献 編集

  • 「青森県人名大事典」1969年、東奥日報社