能勢辰五郎
能勢 辰五郎(のせ たつごろう、1856年6月27日(安政3年5月25日[1]) - 1911年(明治44年)5月14日[2])は、明治時代の外務官僚。統監府・朝鮮総督府官僚。全羅南道長官。
経歴
編集備中足守藩郷士・能勢泰助の三男[1]。1873年(明治6年)外務省語学生となったのち書記生として外務省に出仕する[1]。サンフランシスコに勤務したのち1882年(明治15年)神奈川県に奉職し領事館書記生となり1892年(明治25年)仁川副領事を経て、翌年同領事となる[1]。のち総領事としてシカゴ、釜山、モントリオール、オタワに在勤し、1909年(明治42年)外務省通商局勤務から統監府大邱理事庁理事官に任じ、1910年(明治43年)10月、全羅南道長官に就任した[1]。1911年(明治44年)5月14日、蓄膿小耳炎により死去した[2]。
栄典
編集- 位階
- 勲章等
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所 編『人事興信録 第3版 皇室之部、皇族之部、い(ゐ)之部-の之部』人事興信所、1911年 。
- 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年 。