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能勢 頼次(のせ よりつぐ)は、安土桃山時代から江戸時代前期の武将江戸幕府旗本

 
能勢頼次
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 永禄5年(1562年
死没 寛永3年1月18日1626年2月14日
改名 竹童丸、頼次
別名 助十郎、惣右衛門
戒名 日輝
墓所 池上本門寺
官位 伊予守、摂津守
幕府 江戸幕府
主君 豊臣秀吉徳川家康秀忠
氏族 能勢氏
父母 能勢頼幸波多野秀親の娘
兄弟 頼道頼郡頼次、金剛院、安威源秀室、井上氏友室、女子2
井上氏幸の娘
頼重頼隆頼之頼永頼平、娘(田村顕当室→松平昌重室)、近江局、娘(織田高重室)、養女(松平昌重の娘、太田資次室)

生涯編集

能勢氏は代々足利将軍家に仕えたが、織田信長の時代に兄二人はいずれも戦死していた。豊臣秀吉に仕える。慶長4年(1599年石田三成徳川家康を襲撃するという巷説が流れた際、自身の屋敷が三成の屋敷の隣であったため、その動向を監視して家康に伝えた。慶長5年(1600年関ヶ原の戦いでは家康に従い、その功で能勢郡3000石を与えられ、また同地に6800石を預けられる。慶長19年(1614年大坂冬の陣では天満口を守備。翌年夏の陣では多田へ駐屯し、ここで塩川氏の残党を滅ぼした。塩川氏はかつて長兄頼道を討った仇であった。戦後は2300石の加増を受ける。元和7年(1621年)家督を嫡男頼重に譲り隠居。

出典編集