臨安府(りんあんふ)は、中国にかつて存在した明代から民国初年にかけて、現在の雲南省玉渓市紅河ハニ族イ族自治州一帯に設置された。

雲南省の臨安府の位置(1820年)

概要

編集

1256年憲宗6年)、モンゴル帝国により休臘に万戸が置かれた。1271年至元8年)、により休臘に臨安路が置かれた。臨安路は雲南等処行中書省に属し、河西蒙自の2県と舎資千戸建水州石坪州寧州に属する通海嶍峨の2県、合わせて3州4県1千戸を管轄した[1]

1382年洪武15年)、明により臨安路は臨安府と改められた。臨安府は雲南省に属し、直属の河西・通海・嶍峨・新平・蒙自の5県と建水州・石屏州阿迷州・寧州・新化州寧遠州の6州と納楼茶甸長官司・教化三部長官司・王弄山長官司・虧容甸長官司・渓処甸長官司・思佗甸長官司・落恐甸長官司・左能寨長官司・安南長官司の9長官司、合わせて6州5県9長官司を管轄した[2]

のとき、臨安府は雲南省に属し、河西・通海・嶍峨・蒙自・建水・石屏州・阿迷州・寧州の3州5県を管轄した[3]

1913年中華民国により臨安府は廃止された。

脚注

編集
  1. ^ 元史』地理志四
  2. ^ 明史』地理志七
  3. ^ 清史稿』地理志二十一