自由の広場」(Simple Song of Freedom)は、ボビー・ダーリンが作詞作曲した反戦歌1969年にティム・ハーディンがシングルとして発表し、全米50位を記録した。

自由の広場
ティム・ハーディンシングル
B面 何故生まれてきたの
リリース
規格 7インチ・シングル
ジャンル フォークロック
時間
レーベル コロムビア・レコード
作詞・作曲 ボビー・ダーリン
プロデュース ゲイリー・クライン
チャート最高順位
ティム・ハーディン シングル 年表
Don't Make Promises
(1969年)
自由の広場
(1969年6月)
バード・オン・ザ・ワイヤー
(1971年7月)
ミュージックビデオ
「Simple Song of Freedom」 - YouTube
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概要 編集

1969年、ボビー・ダーリンはロサンゼルスに活動の場を移し、自身のレーベル「ディレクション・レコード」を立ち上げた。そして「自由の広場」を書いた。本作品はアレクサンドル・ソルジェニーツィンが歌詞に登場することで知られる。「同志ソルジェニーツィンよ、君は忙しいだろうか/もしそうでなけれぱ友であるこの僕に手紙を書いてくれ/土地を耕している人間が気がかりなのは/兵器なのかどうか僕は知りたい」

同じ年、ティム・ハーディンはヴァーヴ・フォアキャスト・レコードを離れ、コロムビア・レコードに移籍。最初のシングルに選んだのがダーリンが書いた「自由の広場」だった。編曲はポール・ハリスが担当し、プロデューサーはゲイリー・クラインが務めた。同年6月、シングルA面として発表。B面はハーディンが書いた「何故生まれてきたの(Question of Birth)」[1]

同年8月15日、ハーディンはウッドストック・フェスティバルに出演し、本作品を歌った[2]

同年8月30日付のビルボード・Hot 100の50位を記録した。またカナダで48位を記録[3]。ハーディンにとってはいちばんのヒットとなった。またこの年、日本でもシングルが発売。ジャケットに記された正式な邦題は「自由の広場(歌おう、自由の讃歌を)」であった[4]

ダーリンはコンサート、テレビ番組などでよく本作品を歌った。1971年にはシングルもリリースした。ケヴィン・スペイシーの監督・脚本・主演・歌による映画『ビヨンド the シー 夢見るように歌えば』(2004年)でも、ダーリンのコンサートのシーンで登場する。

カバー・バージョン 編集

  • ザ・シェファーズ - 1970年のアルバム『Something New』に収録。
  • ヴォイシズ・オブ・イースト・ハーレム - 1970年のアルバム『Right On Be Free』に収録。
  • ニコラ・ディ・バリ - 1970年のシングル。イタリア語詞。タイトルは「Una ragazzina come te」。
  • エディー・スコラー - 1970年のシングル。デンマーク語詞。タイトルは「En enkel sang om frihed」。
  • ザ・ベルズ - 1971年のアルバム『Fly, Little White Dove, Fly』に収録。
  • ボビー・ダーリン - 1971年のシングル。

脚注 編集