本来の表記は「舞靏千五郎」です。この記事に付けられた題名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。
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舞靏 千五郎(まいづる せんごろう、生年不明 - 1816年8月27日文化13年8月5日〉)は、佐渡ヶ嶽部屋に所属した元力士[1]舞鶴 千五郎や最後の四股名でもある舞靏 勝之助(まいづる かつのすけ、舞鶴 勝之助との表記も)と表記する文献もある。

本名・身長・体重いずれも不明[1]江戸(現在の東京都区部)出身[1]

最高位は東前頭5枚目。

経歴に不明な点が多いが、1814年4月場所で初土俵を踏み、幕内格番付外として付出された[2]。しかし実力は全く無く、この場所1勝6敗3休と悲惨な成績に終わった。それでも二段目〈今の十両〉に陥落することなく、以後5場所幕内で相撲を取り続けた[1]。結局一度も勝ち越しを達成することが出来ないまま、1816年3月場所で3勝3敗2休の成績を収めた[3]のを最後に、1816年8月5日に現役中のまま死去した。初土俵(ただし記録上に残っているもののみ)から僅か2年余りの短い土俵生活だった。

幕内通算 5場所 10勝25敗3分1預9休の成績を残した。

改名歴は1回:舞鶴 千五郎 → 舞鶴 勝之助[1]

出典編集

関連項目編集