芥川舟之

幕末から明治にかけての学者、教育家

芥川 舟之(あくたがわ しゅうし、1817年文化14年)?[1] - 1890年明治23年)[1][2])は、幕末から明治にかけての学者教育家[2]。号は帰山(きざん)。 曽祖父に芥川丹邱、祖父に芥川元澄、父に芥川希由(玉潭[3])がいる[1]。舟之は3代目である[1]

生年月日 編集

芥川舟之の生年月日には異説あり、正確には生年不詳とされる場合が多い。

生涯 編集

1817年に、学者の芥川希由のもとで生まれる[1]。藩校の教官として働いた他、越前鯖江藩第7代藩主である間部詮勝が老中として京都に赴いた際、詮勝の会議議員として就いた[1]。また、鯖江市惜陰小学校で教鞭を執るなど、政治的にも関わる人物であった。1890年に死去[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g 芥川 元澄(思堂)・玉潭(希由)・舟之(帰山) – めがねのまちさばえ 鯖江市”. www.city.sabae.fukui.jp. 2022年7月27日閲覧。
  2. ^ a b 芥川 舟之 | デジタルアーカイブ福井”. www.library-archives.pref.fukui.lg.jp. 2022年7月27日閲覧。
  3. ^ 日本人名大辞典+Plus,367日誕生日大事典, デジタル版. “芥川玉潭とは”. コトバンク. 2022年7月27日閲覧。