荘王(そうおう)は、周朝の第15代の王。桓王の子。姫胡斉(釐王)、弭叔頽[1](姫頽)らの父。
荘王 | |
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周 | |
第15代王 | |
王朝 | 周 |
在位期間 | 前696年 - 前682年 |
都城 | 王城(洛邑) |
姓・諱 | 姫佗 |
生年 | 不詳 |
没年 | 前682年 |
父 | 桓王 |
前694年、王族の周公黒肩が荘王を弑し、その弟の儀叔克[2](姫克)を擁立する計画が露見した。
荘王は大夫辛伯に命じ、そのため黒肩は殺害され、儀叔克は南燕(現在の河南省延津県)に逃れた。
側室の姚氏が産んだ弭叔頽を溺愛し、太子の姫胡斉(釐王)を疎んじたが、結局は太子がその後を継いだ(しかし、孫の恵王の代に弭叔頽は自ら周王と称した)。
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