萬行寺

福岡市博多区祇園町にある寺院

萬行寺(まんぎょうじ)は、福岡県福岡市博多区にある浄土真宗本願寺派寺院である。

萬行寺
山門
所在地 福岡県福岡市博多区祇園町4-50
位置 北緯33度35分31.3秒 東経130度24分44.7秒 / 北緯33.592028度 東経130.412417度 / 33.592028; 130.412417座標: 北緯33度35分31.3秒 東経130度24分44.7秒 / 北緯33.592028度 東経130.412417度 / 33.592028; 130.412417
山号 普賢山
宗旨 浄土真宗
宗派 浄土真宗本願寺派
創建年 1529年
開基 空性(七里隼人)
法人番号 5290005000615 ウィキデータを編集
萬行寺の位置(福岡市内)
萬行寺
テンプレートを表示

概要 編集

博多の中心部、祇園町国体道路に面したところにある寺院。近隣には櫛田神社キャナルシティ博多が近くにある。

創建から本願寺との関わりも深く、近代までは筑州における西本願寺の出先機関としても機能したほか、七里恒順といった名僧も住していた。

歴史ある寺院であり、福岡を代表する浄土真宗の寺院のひとつであるが、境内は日中開放されており、本堂にも参拝できる開かれた寺院でもある。

境内 編集

  • 本堂
  • 山門 - 山門につけられている大きな寺紋は、第5世住職正海石山合戦の際、本願寺の援軍であった広島の毛利家と共に武器、食料などを輸送した功により、毛利家から裏紋であるおもだか紋を与えられたことによる。
  • 明月尼墓 - 明月は源氏名で本名はお秋という。両親や許婚を亡くし、生きる希望を失い遊郭に売られた薄幸の美女であったが、供養のため訪れた萬行寺で住職の正海と出会い、熱心に参詣を続けた。22歳で病死したが、四十九日の朝、墓を破って一輪の白い蓮の花が咲き、墓を掘りあらためたところ明月の亡骸は今なお生きているようで、微かに微笑むその口から茎が伸びでていたという。

沿革 編集

享禄2年(1529年)に本願寺第8世蓮如の命により、性空(七里隼人)が開基となり普賢堂町に草庵を結ぶ。

天文5年(1536年)に本願寺から萬行寺の寺号を許される[1]

弘治3年(1557年)に普賢堂町より、櫛田神社前の冷泉町(旧・馬場町)へ移転し、冷泉町は萬行寺前町と呼ばれるようになる[1]

寛文5年(1665年)に現在の地である祇園町に移転[2]

脚注 編集

  1. ^ a b 福岡地方史研究会『エリア別全域ガイド 福岡市歴史散策』海鳥社、2007年6月1日、47頁。ISBN 978-4874155462 
  2. ^ 萬行寺”. www.aizono.co.jp. 2021年2月27日閲覧。