首藤 鑑続(すどう あきつぐ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武士蒲池鑑続とも表記される。

 
首藤鑑続
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 不明
死没 不明
別名 蒲池鑑続
氏族 蒲池氏首藤氏
父母 父:蒲池鎮漣
兄弟 蒲池徳子蒲池久鎮蒲池経信鑑続石井孫兵衛正室
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略歴

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蒲池鎮漣の子として誕生。

蒲池家系図によれば、蒲池氏17代・蒲池鎮漣には、嫡子の宗虎丸(蒲池統虎/久鎮)、宮童丸(経信)、蒲池鑑続、徳姫(蒲池徳子)という子がいる。嫡子の宗虎丸は、天正9年(1581年)の柳川の戦いの際、支城の塩塚城で殺害されたが、その名跡を継いだのが鑑続とされる。鑑続の子孫は、龍造寺氏の探索から逃れるために、蒲池久一(ひさかず)の子・久成(ひさなり)の時に母方の首藤氏を名乗り、その経緯から鑑続も首藤鑑続とも呼ばれる。

蒲池鎮漣の子孫で有名なのは、徳子の子孫だが、鎮漣の嫡子・宗虎丸の名跡を継いだことから、鑑続(首藤鑑続)の系統が、あえて言えば鎮漣以降の蒲池氏嫡流ともいえるだろう。

鑑続の子孫は筑後国郷士となり、医師や学者、造酒業者を多く輩出した一族として繁茂、幕末の風雲にあっても九州を中心に各地で活躍する。城島の銘酒「池亀」の社主の蒲池氏や、「比翼鶴」の社主の二宮氏は、この子孫である。