蔡成勲
蔡 成勲(さい せいくん)は、清代から中華民国にかけての軍人。北洋系の軍人で、北京政府では直隷派に属した。字は虎臣。
蔡 成勲 | |
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Who's Who in China 3rd ed. (1925) | |
プロフィール | |
出生: | 1873年(清同治12年) |
死去: |
1946年(民国35年) 中華民国天津市 |
出身地: | 清直隷省天津府天津県 |
職業: | 軍人 |
各種表記 | |
繁体字: | 蔡成勳 |
簡体字: | 蔡成勋 |
拼音: | Cái Chéngxùn |
ラテン字: | Ts'ai Ch'eng-hsün |
和名表記: | さい せいくん |
発音転記: | ツァイ チョンシュン |
事績
編集1900年(光緒26年)、北洋武備学堂を卒業する。京畿附近駐屯軍副司令、督練処参議官、浙江第21鎮協統領などを歴任した。1912年(民国元年)、北京大総統府侍従武官に任命される。翌年に陸軍第1師第1旅旅長、1914年(民国3年)に陸軍第1師師長と昇進していく。
1916年(民国5年)6月の袁世凱死後は直隷派に属し、翌年に第7軍軍長に昇進した。同年8月、綏遠都統を兼任した。民国9年(1920年)9月、甘粛督軍を兼任する。民国10年(1921年)5月、陸軍総長に就任したが、同年12月に辞任した。
1922年(民国11年)6月、督理江西軍務善後事宜に就任して、同省を統治した。1924年(民国13年)、配下である贛南鎮守使方本仁により下野に追い込まれた。以後、天津に戻り隠居した。
1946年(民国35年)、死去。享年74。
参考文献
編集- 来新夏ほか『北洋軍閥史 下冊』南開大学出版社、2000年。ISBN 7-310-01517-7。
- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
中華民国(北京政府)
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