蔡文徳
蔡 文徳(チェ・ムンドク、朝鮮語: 채문덕/蔡文德、1943年 - 2000年)は、朝鮮民主主義人民共和国の軍人、政治家。第10期最高人民会議代議員[1]。
朝鮮労働党組織指導部の副部長、朝鮮民主主義人民共和国社会安全省の政治局長。
経歴
編集出身地やこれまでの経歴は不明。軍での位は上将。1983年より社会安全部副部長、平壌市安全局長、社会安全部政治局長、最高人民会議資格審査委員会委員などを務めた。
1996年、金正日の意を受けた張成沢の配下として、大規模粛清事件として知られる深化組事件の実行者となった[注釈 1]。蔡は、張成沢の政敵であった文聖述(ムン・ソンスル)党組織指導部第一部長、中央党本部党書記をなぶり殺しにした[2]。文聖述は下剤を飲まされた上で3日間、一滴の水も与えられない拷問を受け、その結果、留置場の壁に頭を打ち付けて自殺したといわれる[3]。
しかし、蔡は組織指導部の反撃に遭い、2000年に処刑された[2]。上層部は「深化組」を解体する方針を決め、責任を免れた張成沢が蔡文徳や李哲ら14人を逮捕し、「反革命的野心家」として銃殺刑とすることで幕引きを図ったのである[4][注釈 2]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 深化組事件については、対南工作に当たる朝鮮労働党統一戦線部の元幹部で、実際にこの大粛清を現地で見聞した張哲賢が、脱北後、韓国の月刊誌にその全容を暴露している。
- ^ 党員向け資料によると、金正日は講習会を指導する幹部に対し「蔡文徳は功名に目がくらみ、若い社会安全員らを駆り立て、ウェノム(日本人の蔑称)より悪辣な方法で幹部らを拷問する蛮行を働いた」と説明したのであった[4]。
出典
編集- ^ “채문덕” (朝鮮語). terms.naver.com. 2024年3月9日閲覧。
- ^ a b “金正恩委員長、父世代を総交代…先軍→先党に重心移動”. 中央日報(日本語版) (2017年11月22日). 2021年10月5日閲覧。
- ^ “「下剤を飲ませ水を一滴も与えず政敵を抹殺」北朝鮮の権力闘争”. yahooニュース (2018年12月18日). 2021年10月5日閲覧。
- ^ a b “秘録 金正日(60) 黄長ヨプ亡命の衝撃 デモにおびえ、摘発責任者を処刑”. 産経新聞 (2016年1月26日). 2021年10月5日閲覧。