福岡県企救郡西紫村(現・北九州市小倉北区)出身[1]。1932年に東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業して引き続き大学院に進み、1934年に同大学院を修了する[1]。
東京帝室博物館の研究員となり、仏教考古学、金工史を専攻した[1][2]。1938年に鑑査官補となり、列品課に勤務した[1]。
1945年高松宮家御用掛となるが、1946年博物館(その後国立化に伴い東京国立博物館になる)に戻り、1955年には工芸課長、1964年には学芸部長を歴任した[1]。1965年奈良国立博物館館長に就任[1][2]、死去まで勤務した。[要出典]
この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 |