藤井 国光(ふじい くにみつ、天文5年(1536年) - 慶長16年(1611年))は、戦国時代から江戸時代前期にかけて地下官人

 
藤井国光
時代 戦国時代江戸時代
生誕 天文5年(1536年
死没 慶長16年(1611年
官位 中務少亟
主君 後柏原天皇後奈良天皇正親町天皇後陽成天皇
氏族 玉手氏藤井氏
父母 父:玉手国氏
国遠
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南都の寺侍を務めたという[1]

概要 編集

国光は葛城襲津彦の末裔である玉手氏の出身。天文19年(1550年)10月15日に15歳で中務少亟に任じられ、慶長16年(1611年)に75歳で死去した[2]

脚注 編集

注釈 編集

出典 編集

  1. ^ 国文学研究資料館「地下家伝・芳賀人名辞典データーベース[1]
  2. ^ 国文学研究資料館「地下家伝・芳賀人名辞典データーベース[2]