藤原 公世(ふじわら の きんよ)は、鎌倉時代前期から中期にかけての公卿従三位八条実俊の二男。山階左大臣洞院実雄の猶子。官位非参議従二位侍従。『尊卑分脈』には「箏一流正統」と注記がある[1]

 
藤原公世
時代 鎌倉時代前期 - 中期
生誕 不明
死没 正安3年4月6日1301年5月14日
別名 公世の二位
官位 従二位侍従
主君 後堀河天皇四条天皇後嵯峨天皇後深草天皇亀山天皇後宇多天皇伏見天皇後伏見天皇後二条天皇
氏族 八条家藤原北家閑院流滋野井家分流)
父母 父:八条実俊
母:佐々木判官定綱娘・春華門院大進
猶父:洞院実雄
兄弟 八条公有八条実清公世、公員、
道源、公秋、良覚、中山忠定
女子
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全くの傍流に過ぎなかった公世であるが、長命であったこと(生年は不明だが、叙爵から死去まで75年であった)、箏に秀でていたことなどから従二位に至ったと考えられる。

経歴 編集

以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

『徒然草』第45段 編集

公世の名は『徒然草』第45段に現れる。この段の内容は公世本人に関するものではないが、昇進が非常に遅かった公世が晩年に長く非参議従二位侍従であったことから、「公世の二位」と呼ばれていたことがわかる。

系譜 編集

脚注 編集

  1. ^ 『尊卑分脈』、閑院流三条家分流、八条家、「藤原公世」の項。
  2. ^ 安嘉門院当年御給。
  3. ^ 後嵯峨天皇即位時の叙位。式乾門院御給。
  4. ^ 後深草天皇即位時の叙位。室町院御給。
  5. ^ 右少将を免官の上での叙位。

参考文献 編集