藤原姚子

大納言朝光の長女、花山天皇女御

藤原 姚子(ふじわら の とうこ/ちょうし、天禄2年(971年) - 永延3年5月29日989年7月4日[1])は、平安時代の女性。花山天皇女御堀河女御とも。

略歴 編集

藤原朝光の娘で母は重明親王王女。永観2年(984年)より麗景殿に入った[1]。朝光は父の藤原兼通藤原媓子の遺品を麗景殿に送ったため姚子の櫛笥はとても豪華であったと言う。天皇の寵愛が続かず、1ヵ月ほどで宮を退出したが、天皇もそれを問わなかったという [2]

参考文献 編集

  • 『譯文大日本史弐』(国民文庫刊行会、1914年、568p)

脚注 編集